背負ってくださる主
イザヤ46:4
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
今年は9月18日が敬老の日。長く人生の旅路をたどってこられたご高齢の方々に、心から敬意を表します。
社会のあらゆる面で高齢化が深刻になってきています。片や少子化で子どもの数が減少し、片や平均寿命の延長で高齢化が進み、日本国民の平均年齢がかなり高くなって来つつあります。
しかし、私たちが、肝に銘じておかなければならないことは、高齢者を邪魔者扱いしてはならないということです。高齢化を心配する陰には、お年寄りを厄介者と見る向きが感じられる場合がよくあるのです。
年を取ることは、聖書では決してマイナスとは見なされていません。むしろ、神様の祝福として描かれています。旧約聖書のイザヤ書46章4節にこうあります。「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
神様は、私たちが年を取っても、変わらない真実な扱いを与えると約束していてくださるのです。
人々はみな年を取っていきます。今はピチピチとした20代の青年であっても、50年もすれば立派な高齢者です。50年は、それほど長い年月ではありません。私はまだ55年しか人生を歩んできていませんが、幼い頃がそれほど昔のようには思えないのです。
人生70年、80年は、あっと言う間に過ぎてしまいます。この短い人生を、どのように生きるかが大切なのです。
真実な神様を知った人の人生はすばらしいと思います。たとえそれほど財産を蓄えられなくても、また名前を残すことが出来なくても、「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。」と言ってくださる神様に委ねることが出来るなら、それが何にも勝る宝です。神様は、私たちを愛し、独り子キリストを十字架にお掛けになり、それによって私たちに、罪からの救いを与えてくださいました。この真実な神様に、最後まで持ち運んでいただきましょう。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を開いて、あなたのお越しを心からお待ちしています。お気軽にお越しください。