本当に幸いな者
詩篇32:1,2
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
キリストの救いとは、一言で言えば、どういうことでしょうか。それは、私たちの罪が被い消されることです。
旧約聖書の詩篇32篇1,2節に、次のようにあります。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」
ダビデというイスラエルの王様は、立派な王でした。しかし、一度だけ、恐ろしい罪を犯してしまいました。忠実な部下の妻を横取りし、さらにそれをごまかすために、夫であるその部下を策略をもって抹殺してしまったのです。そのとき彼は、神の御言葉によって、自分が神様の前に、頭の先から爪先まで真っ黒な罪人であることが分かりました。そして、心から神様の前に悔い改め、憐れみによって神様に赦していただきました。
私たちも、普段は平静を装っていますが、一皮むけば、みな神様の前に罪人です。自分では気が付かないかもしれませんが、人を恨んだり、憎んだり、あるときは傷付けたりします。罪に気が付いて、やめようとしても、すぐに同じ過ちを犯してしまいます。
しかし、罪というのは、ただ表に現れた悪しき行いや思いだけではありません。もっと深い根があります。罪の根元は、まことの神様を知らないことです。天地を創造され、私たちをも造られた本当の神様を知らず、知ろうともせず、自分本位な生活を送ってきました。自由だ、自由だと言いながら、罪の奴隷に甘んじて、ただ滅びを待つばかりの惨めな私たちです。
しかし、そんな私たちが滅びないために、神様はご自身の御子イエス・キリストをこの世にお送りくださいました。キリストは、神の御子であられましたが、汚れたこの世に来られ、十字架にかかられました。それは、私たちの罪のためでした。ただ、私たちが心から罪を悔い、神様の前に出て罪を告白し、キリストの十字架が自分のためだったと信じるなら、私たちの罪は赦され、罪がまったく被い消されるのです。「幸いなことよ」とあります。キリストの十字架によって、罪が被い消される恵みを神様から与えていただいた者が、本当に幸いな者です。
砕けた悔いた心で神の御前に出ていきましょう。神様は、キリストの十字架のゆえに、私たちを救ってくださるのです。そして、本当に幸いな者にしていただきましょう。
教会では、8月20日(日)午後2時より、森繁昇サマーコンサートを行います。今年はシンガーソングライターの森繁昇さんの歌に加えて、ジロー・国分さん、ジュニアー・野田さん、ジミィー・赤澤さんが多彩な弦楽器を奏でてくださいます。入場無料です。どなたでもお気軽にお越しください。