戸をたたくキリスト
黙示録3:20
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
ホルマンという画家が描いた、戸をたたくキリストの絵をご存知ですか。キリストが片手に灯りを下げて、家の戸をノックしている絵です。キリストがたたく扉には、外にノブが付いていません。中にいる人があけなければ、戸は開かないのです。
私は、この絵を見るたびに、胸が締め付けられる思いがします。私はかつて、ずいぶん長い間、キリストを外に立たせたまま戸をたたき続けさせた者です。キリストは、私の所に来たいと願っているのに、私のほうが「いいえ結構です」、「宗教なんかいりません」、「まだまだやりたいことがいっぱいありますから、束縛されたくありません」などと、勝手なことを言って拒んでいました。今にして、何ともったいない、また何と申し訳ないことをしていたのだろうと思います。
しかし、キリストは、そんな傲慢で強情な私を、なお愛して、忍耐して、戸をたたき続けてくださったのです。そのキリストの愛がわかったのは、自分の罪がわかり、神の前に悔い改め、この私の罪のためにキリストは十字架で死なれたのだと信じた時でした。こんな罪深い者のために、罪なき神の子がよくぞ死んでくださったと思います。
新約聖書ヨハネの黙示録3章20節にこう書かれています。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
キリストは、決して戸をこじ開けたり、蹴破ったりして、無理に入ろうとはしません。ただ、中の人が開けるのを待って、やさしく戸をたたき続けるのです。
キリストは、あなたの心の戸をたたいておられます。あなたがその声を聞いて、自分で戸を開けるなら、キリストはいつでも中に入られ、あなたの魂の内に、すばらしい救いのみ業をなしてくださいます。
声を聞いているのに、戸を開けるのをためらったり、拒んだりしていると、やがてキリストは前から立ち去ってしまうかもしれません。そのときになって「しまった」ということにならないように、今、心の扉をお開けください。
教会では、7月23日(日)午後4時から、チャペルコンサートを開きます。芦屋、守口、宝塚の3つのゴスペルクワイヤ合同のゴスペルコンサートです。入場無料です。お気軽にお越しください。