いつも主の前に
詩篇16:8
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
私の好きな聖書の言葉のひとつに、詩篇16篇8節があります。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」
私の前に主を置いた、とはどういう意味でしょうか。お守りのように、主を自分の前にぶらさげた、ということではありません。飾り物のように、主を机の上に置いておいたということでもありません。これは、私自身が主の前に歩んだということです。いつでも主の見ておられる前を、素直に、真実に歩んだということです。
私たちは、とかく人の目を気にしがちです。友達は私のことをどう思っているんだろうか、上司は自分のことをどう見ていてくれるだろうか、あの人は、この人は…と、人の目によく映るように飾り、取り繕います。いい格好を見せようとします。しかし、本当に気にしなければならない御方の目を、全く忘れてしまっている場合が多いのです。
その本当に気にしなければならない御方とは、神様です。神様は、目には見えませんが、確かにいらっしゃって、いつも私たちをご覧になっています。人の前でいい格好をして、誰も見ていないところでごまかしたり、いい加減なことをしたりしていると、やがて私たちは、神様の前ですべてのことについて申し開きをしなければなりません。
しかしながら、主の前を歩むとは、主の目を気にしながら、ビクビク、おずおずと生きることではありません。主の聖顔を見つめながら、堂々と胸を張って歩んでいくのです。そのためには、まず罪の赦しをいただいて、神の子にしていただきたいのです。今まで神様から離れていた罪をお詫びして、キリストが十字架で死なれたのは、この自分のためだったと信じて、すべての罪が赦され、救いの恵みをいただきましょう。そして、どこを見ていただいても恥ずかしくない、きよい魂としていただいて、もはやちょっとやそっとでは動かされず、確信をもって主の前に歩んでいく者としていただきましょう。
教会では、5月21日(日)午後4時より、チャペルコンサートを行います。友枝良平さんによるオカリナコンサートです。入場無料です。どなたでもおいでください。心からお待ちしています。