愛がわかったのです
Ⅰヨハネ3:16
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
私たちは、「愛」という言葉が好きです。しかし、私たちはどれだけ本当の愛を知っているでしょうか。“愛している”と言ったそのすぐ後から、裏切ったり踏みにじったり、ということは、私たちの周りでよく起こってきます。保険金目当てに妻を殺害したり、言うことを聞かないからと言って幼い我が子を折檻死させたり…という出来事が、日常茶飯事のように起こります。愛とは何か、どこに本当の愛があるのか、と考えさせられます。
新約聖書のヨハネの手紙第一3章16節に、こうあります。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」
キリストは、罪のない神の御子でしたのに、私たちのために十字架にかかっていのちを捨ててくださいました。罪のために滅びゆく者であった私たちを、憐れんでくださったのです。このキリストの十字架によって、私たちはすべての罪が赦され、滅びなくても良い者になるのです。
このことによって、私たちは、これこそ本当の愛だと知りました。今まで、誰がこんな私のような者のためにいのちを捨てたでしょうか。誰もいません。キリストだけです。ご自分のいのちまでなげうって、この私を愛してくださったのは、キリストだけでした。
このキリストの愛によって、その十字架の贖いを通して救われたなら、私たちの生き方は変わってきます。先ほどのみ言葉のあとのほうに、「ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」とありました。これは、実際に人のために死ぬということも含めて、人のために生きるということを意味しています。
それまでは、自分のため、自分の楽しみ、自分の満足のため、自分が得をするためだけに生きてきた私たちです。それが、私をとことん愛してくださったキリストのため、また周囲にいる人々のために生きていく者に変えられるのです。本当の愛を知った者は、必ず生き方が変わるのです。
あなたは、本当の愛をご存じですか。いのちを捨てるほどあなたを愛していてくださるお方をご存じですか。ぜひ、キリストの愛に触れてください。あなたの生き方は変わります。
教会では、毎週日曜日の午前10時半より礼拝を行っています。礼拝はクリスチャンはもちろん、そうでない方でもどなたでもおいでいただける開かれた集いです。お気軽にお越しください。お待ちしています。