永遠のいのちへの水
ヨハネ4:13,14
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
まずイエス・キリストの言葉をお聞きください。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネの福音書4章13,14節のみ言葉です。
私たちはみな、心に渇きを持っています。“もっとこんな生き方をしたいのに…”“もっとゆとりのある生活を送りたいのに…”など、様々な要求があります。しかし、最も深いところにある渇きは、平安な人生を送りたいということではないでしょうか。
お金がたくさんあっても、高い地位を獲得しても、平安ではない人はいくらでもいます。お金や地位や名誉は、一見とても魅力的ですが、私たちに真の平安を約束はしないのです。
では、何が、平安を得たいという私たちの渇きをとどめるのでしょうか。キリストは、「わたしが与える水を飲む者は…」と言われました。キリストが私たちに与えてくださる水こそ、私たちの渇きをとどめるものです。それは、罪からの救いです。
私たちは、神様の前に引き出されれば、みな滅びを宣告されるべき罪人です。自分では罪人などと思っていなくても、神様の鋭い光に照らされれば、傲慢、意地悪、憎しみ、妬みなど、隠れていた汚いものが暴露され、罪の姿が明らかにされます。そして、そのままでは確実に滅びゆく者であることがわかってきます。
そんな私たちを、神様は哀れに思ってくださり、罪から救おうとしてくださいました。そのために神様のもとから送られてきたのが、キリストです。キリストは、罪なき神の子でしたが、私たちのために十字架にかかって死なれました。私たちの受けなければならなかった罰を、身代わりに受けてくださったのです。私たちが自分の罪を悔い改め、キリストの十字架が自分のためだったと信じれば、どんな罪も赦され、私たちは救われます。この救いこそ、永遠のいのちに至る水であり、私たちの渇きをとどめるものです。
あなたは、今、自分が渇いていることにお気づきになりませんか。キリストは、あなたが来るのを待っておられます。そのままでいいのです。今、キリストのもとに行きましょう。
教会では、毎週日曜日、朝10時半より礼拝を行っています。礼拝は、クリスチャンであるなしにかかわらず、どなたでもおいでいただける開かれた集会です。どなたでもお気軽においでください。お待ちしています。