自分の救いの達成を
ピリピ2:12
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第15回は、2章12節です。「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」
パウロは、「自分の救の達成に努めなさい」と言います。自分の救いの達成とは何でしょうか。それは、完全な救いのことです。
キリストは、十字架の上で息を引き取られる直前に「完了した」と言われました。口語訳では「すべてが終わった」、文語訳では「事おわりぬ」です。“万事休す”という意味ではありません。“全人類の救いが完成した”という意味の言葉でした。
キリストは、十字架で私たちの救いを完成してくださいました。私たちの救いとは、まず、私たちが今まで犯してきた一つ一つの罪が全部赦された、という罪の赦しの救いです。
嘘をついたとか、意地悪をしたとか、盗んだとかいう、物心ついてからこの方、私たちが犯してきた具体的な罪を、素直に認め、神様の前に悔い改め、キリストは私のこれらの罪のために十字架にかかってくださったと信じるなら、すべての罪がその場で赦されます。私たちは、まずこの罪の赦しの救いをいただきたいと思います。
罪が赦されたら、もうそれで万事解決かというと、そうではありません。罪が赦され救われても、私たちはまた罪を犯します。また自己中心になったり、傲慢になったりします。愛がなく、妬み深い者です。そのままでは神様に喜ばれない、汚い存在だということに気がつきます。キリストの十字架の血潮は、そういう汚れまできれいに潔める血潮です。救われたのにまだ残る古い自分が、キリストの十字架に付けられて死んで、キリストが私のうちに生きてくださる、という聖潔の恵みまで与える血潮です。
そこまで至らせられて、私たちは、完全に救われたと言うことが出来ます。キリストは私たちに、この完全な救いを与えてくださるのであり、パウロはこの完全な救いを求めていきなさいと勧めているのです。「努めなさい」ですが、努力によって獲得するのではありません。信じて、従っていけば、信仰によって与えられるのです。求めていきましょう。
教会では、9月25日(日)午後4時より、チャペルコンサートを開きます。福田豊子さんのソプラノと、三宅麻由美さんのピアノのコンサートです。入場無料です。あなたのおいでを心よりお待ちしています。