他の人のことも顧みなさい
ピリピ2:4
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第11回は、2章4節です。「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」とあります。
子どものころ、“もう、自分のことばかり考えて…。少しは人のことも考えなさい”と言われたことはありませんか。
ひと昔前、佐良なんとかという歌手が歌って、大ヒットとなった“世界は二人のため”という歌謡曲をご存知ですか。“二人のため、世界はあるの…”という折り返しのフレーズがとても有名になり、結婚式の披露宴などによく使われたそうです。確かに、恋愛中や新婚ほやほやの二人には、ピッタリくる歌詞ですね。でも私は、どこか違和感があり、“世界のため、二人はあるの”という生き方が必要なんじゃないかな、なんて思ったものです。
人間というのは自己中心の存在です。世の中が自分を中心に回っていると思いやすいものです。自分を守るためなら、人を矢面にでも立たせる、自分が出世するためなら、人を踏みつけもするのです。しかし、パウロは、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」と言います。これは、単なるヒューマニズムではありません。キリストの模範があったのです。
キリストは、与え尽くす神の愛を実践されました。虐げられた人を訪ね、友なき者の友となり、ついには十字架にかかられました。苦しい十字架の上で、まず口を開いて語られた言葉は、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」という祈りでした。ご自分を十字架につけるローマ兵たちのために、ひいては私たちすべての罪人のために祈られたのです。キリストは片時もご自分を喜ばせることはなさらず、徹底して神の御心に従い、私たちを愛し抜かれました。このキリストの愛のゆえに、私たちは救われたのです。
それなら、私たちも神と人を愛し抜く者でありたいですね。しかし、現実はどうでしょうか。依然として自己中心です。過去に犯した具体的な罪は赦されましたが、罪の性質が残っているからです。これは、どんなにがんばっても、自分ではどうすることもできません。キリストの十字架の血潮でなければ解決がつきません。自分の醜い姿を認め、砕かれた心で十字架のもとに行き、自己中心の古い自分を十字架につけるなら、キリストがわが内に住んでくださり、きよくされます。そのようにしていただいて、初めて私たちは、自分のことばかりでなく、他人のことも考える者、他者を徹底的に愛する者になります。十字架の血潮の力です。信じましょう。
教会では、21日(日)午後2時より、シンガーソングライターの森繁 昇さんをお招きして、サマーコンサートを開きます。入場無料です。どなたでもご参加ください。お待ちしています。