キリストの日には
ピリピ1:9-11②
こんにちは。お元気ですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第5回は、1章9-11節の続編です。もう一度御言葉を読みましょう。「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」
「キリストの日には純真で非難されるところがなく」とあります。キリストの日とは何でしょうか。キリストがこの世に再び来られる日、再臨の日のことです。キリストは、私たちを罪から救うために、およそ2000年前にこの世に来られ、十字架にかかられました。しかし三日目に復活して天に昇られました。キリストは、目には見えませんが、今も生きておられ、私たちを導き、慰め、励ましてくださいます。そのキリストは、この世の終わりにもう一度来られます。今度は、はっきりと目に見えるお姿で来られます。それがキリストの日です。
キリストは、何のために再臨されるでしょうか。私たちを神様の御国に迎えてくださるためです。すばらしいですね。しかし、誰もが御国に入れていただけるわけではありません。御国に入れていただける条件は何でしょうか。
まず、罪が赦されていることです。自分が神様の前に罪人であることを認め、悔い改め、キリストの十字架を信じれば、誰でも、どんな罪も赦されます。まずこの救いの恵みをいただくことです。
では、救われてクリスチャンになれば、それで御国に入れるでしょうか。救われたのに、まだわがままだ、人を愛せない、神様の御心に従うより、自分の計画や思いを優先させてしまう…というような自分であることに気がつきませんか。それは、過去の罪が赦されても、まだ罪を犯させる罪の根が残っているからです。そのままでは、とても聖い神様の前に立てません。しかし、キリストの救いは完全です。十字架の血潮で、汚れを全く拭い取ってくださり、私たちを聖い者にしてくださいます。救われた人は、この恵みを求めていくのです。
神様は真実です。私たちが真剣に、またへりくだって求めていけば、私たちを必ず聖くしてくださいます。キリストの日に純真で非難されるところのない者にしてください、と求めていきましょう。
教会ではあなたのおいでを心からお待ちしています。