羊飼いであるキリスト
詩篇23:1,2
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
旧約聖書の詩篇の中で、表現や文体が最も美しいと言われている23篇を、ご存じでしょうか。その書き出しは、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」という、いかにも牧歌的な、美しい文章です。
羊は臆病な動物だとよく言われます。以前、牧場に行ったとき、羊たちが10頭ほど集まり、身を寄せ合って体をふるわせているのを見ましたが、その様子は、いかにも臆病そうに見えました。また1頭が走り出すと、他の羊たちも同じ方向に走り出すところも見ましたが、付和雷同というような印象を持ちました。
羊は、羊飼いなしで、自分たちだけで生きていくことは出来ません。良い羊飼いが、愛情を注いで、また責任を持って群れを養っていかなければなりません。私たちは羊のようなものです。ちょっとしたことで怯え、動揺します。人の声に惑わされて闇雲に突っ走ってしまいます。私たちにも羊飼いが必要です。私たちのことを本当に理解し、愛し、責任を持って導いてくれる良い羊飼いが必要なのです。
イエス・キリストがその良い羊飼いとなってくださいました。キリストは、私たちをよく理解してくださいます。私たちの弱さを思いやってくださいます。また、キリストは、私たちを限りなく愛してくださいます。ご自分の命を十字架にお捨てになるほど、私たちを愛してくださいました。そして、キリストは、私たちを最後まで導いてくださいます。たとい私たちが、失敗の多い、悟りの鈍い者であっても、決して途中でお見捨てにはなりません。
キリストは、私たちに必要な質の良い牧草地に、またきれいな泉に伴ってくださいます。この羊飼いキリストのもとにいるなら、私たちには欠乏がありません。キリストの十字架を信じて、罪が赦されて、魂に平安と喜びが与えられ、周囲の環境や置かれている状況がどうであれ、満足することができるのです。
あなたも、ぜひこの良い羊飼いであるキリストのもとにおいでください。キリストのもとに来て、失望させられる人は一人もいません。
教会では毎週日曜日、朝10時半より礼拝を行っています。賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書からのメッセージを聞きます。どなたでもおいでいただける開かれた集いです。ぜひ一度お出かけください。お待ちしています。