神の子どもとされる特権
ヨハネ1:12
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
まず聖書のみ言葉をお聞きください。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネの福音書1章12節のみ言葉です。「神の子どもとされる特権」とは、どういうものでしょうか。
子どもは親に似るものです。子どもが優しいのは、優しさという親の遺伝子を受け継いでいるからです。この親子の関係は、神様と私たちの関係に例えることができます。私たちは神様の性質を受け継いでいるのです。
ここまでお聞きになって、“えっ”と思われるでしょう。“私が神様に似ているって?”と思われるでしょう。はっきり言って、全然似ていません。私たちは、神様と似ても似つかない、罪に汚れた者です。すぐに不平を言います。人を裁きます。人と比べて優越感に浸ったり劣等感にさいまれたりします。偽りを言います。妬みます。恨みます。自己中心になります。本当の愛がありません。このような私が、どうして神様の子どもなどでありましょうか。おこがましいにも程があります。
けれども、聖書は約束するのです。「神の子どもとされる特権をお与えになった」と。自分で勝ち取る権利ではありません。上から与えられる権利です。しかも特権ですから、特別の権利です。どういう点で特別でしょうか。神様の財産を全部そのまま相続するという点においてです。神様の財産と言っても、金品ではありません。不動産でもありません。天における霊の祝福のことです。平たく言えば、私たちが天の御国に住まうことができるということです。
人は死んだら、誰でも天国に行けるのでしょうか。はっきり言って、“ノー”です。神様の子どもとされなければ、天国に行けません。では、どうしたら神の子どもとされますか。何か特別に難しい事をしなければならないでしょうか。何か特別な資格が必要でしょうか。いいえ。初めの聖書のみ言葉を思い返してください。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には」とあります。「この方」すなわちイエス様を信じた人は、誰でも神の子どもとされるのです。自分の罪を神様の前に悔い改め、イエス様が十字架で死なれたのは、この自分の罪のためだったと信じた人は、誰であっても罪から救われ、神の子どもとされるのです。
あなたも、この特権を自分のものにされませんか。あなたのために用意されている特権です。
教会では毎週日曜日、朝10時半より礼拝を行っています。賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書からのメッセージを聞きます。どなたでもおいでいただける開かれた集いです。ぜひ一度お出かけください。お待ちしています。