真実な神
申命記32:4
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
今年も暮れていこうとしています。今年はあなたにとってどんな年だったでしょうか。先日、京都・清水寺の貫主さんが今年を象徴する文字として、「安」という字を大きく書いておられましたが、安保法制の是非が問われ、社会不安、自然災害の不安、戦争・テロの不安が色濃かった今年の世相を反映しています。そのような社会事情で年の瀬を迎え、不安を抱えておられる方が多いのではないでしょうか。
世の中はどんどん変化していきます。変わらないものは、この世には存在しません。しかし、一つあります。いや、お一人おられますと言ったほうがいいですね。それは神です。旧約聖書、申命記32章4節に、こう書かれています。「主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。」
私たちを取り巻く環境、状況は、目まぐるしく変わっていきます。多くの偽りや不正もあります。私たちの回りだけではなく、私たち自身がそうです。私たちの内側には、自己中心が渦巻き、傲慢がのさばり、人々に対する冷淡が横たわっています。これが罪です。その罪の元を探っていくと、まことの神を知らないという、私たち人間の本質に突き当たります。天地を創造され、私たちを愛していてくださる唯一まことの神を、私たちは知らないのです。そこから、自己中心、傲慢、冷淡などの悪い思いが出てくるのです。
聖書に、「罪から来る報酬は死です」とあります。この「死」とは、やがて誰もが迎える人生の終局のことだけではなく、魂の死、永遠の滅びのことです。神様から離れたまま、罪を持ったままでは、私たちは確実に滅んでしまうのです。
しかし、私たちを愛してくださっている神は、私たちが滅びるのを見るに忍びないと思ってくださり、独り子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。キリストは罪のない神の御子であられたのに、惨い十字架にかかって死なれました。私たちの受けるべき罪の罰を、キリストが代わって受けてくださったのです。
私たちが、自分が罪人であることを認め、神の前に悔い改め、キリストの十字架が私のためであったと信じるなら、私たちは、どんな罪も赦され、救われます。もう滅びることはありません。この救い与えてくださるのが、真実な神です。
神は、昔も今も変わることなく私たちを愛し、キリストの十字架を通して私たちを救い、また正しく導いてくださるお方です。この真実な神を信じましょう。来る年も、真実な神に信頼して進んでいきましょう。
教会では、あなたのおいでを心からお待ちしています。