みこころを行うために
ヘブル10:5-7
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。いよいよクリスマスが目前に迫りました。
クリスマスは、神の御子キリストが私たちの住むこの世に来られたことを喜ぶときです。そこには、どんな意味が込められていたのでしょうか。
新約聖書ヘブル人への手紙10章5~7節にこう書かれています。長いですがお聞きください。
「ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。『あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。そこでわたしは言いました。「さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。」』」
ここで言われていることは、キリストは神のみこころを行うためにこの世に来られたということです。神は、罪を犯して神から遠く離れていた私たちを愛してくださって、独り子キリストをお送りくださいました。キリストは、罪人の私たちを愛してくださって、十字架にいのちをお捨てくださいました。愛が動機でした。それは事実です。
けれども、それ以上に、キリストは神のみこころに従ってこの世に来られ、みこころに従って十字架にまで下られたのです。徹底した従順のお姿として、キリストはご自身を表されたのです。それは、私たちがキリストの十字架によって罪が赦され、救われて、キリストの従順を内にいただくためです。
私たちは、生まれながらのままでは、神のみこころに従うことができません。いや、神のみこころが何かがわからないものです。自分の思い通りに生きたい、自分の願いがかなわなかったら我慢できない、自分が気持ちよく過ごせたらそれでいい、というような、自己中心の者です。これは、天地を創造され、私たちを愛してくださるまことの神を知らないという罪から来るものです。その罪のままでは、私たちの行く末は確実に滅びです。
そんな私たちが、自分の罪を悔い改め、キリストの十字架を信じるなら、罪の赦しをいただくことができます。そして、キリストがいつも神のみこころに喜んで従われたように、私たちも神のみこころに従うことを喜びとして歩むことができるようになります。
私たちがそのようになることが、神の願いです。そして、そのような者にしてくださいと求めていくのがクリスマスです。今年は、そのようなクリスマスにしませんか。
教会では、20日(日)午前10時半よりクリスマス礼拝を行います。また、その日の午後には、ロウソクの火を見つめながら礼拝をささげる、キャンドル・ライト・サービスを行います。さらに、24日(木)、午後7時よりクリスマス・チェロコンサートを開きます。今年で第15回を迎えるチェロコンサート、ベアンテ・ボーマン先生とルリ子・ボーマン先生による、心あたたまる音楽とメッセージのひと時です。入場無料です。ぜひお集いください。