苦しみの中で学ぶこと
詩篇119:71
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
人は誰でも幸せでありたいと願います。幸福を追求することは、日本国憲法でも保障されている大切な権利です。しかし、ともすると、自分だけの幸せを求めて、他者を顧みないということになる場合があります。マスコミで報道される事件を見ていると、犯罪者の中に、自分が満足さえすれば、他人がどんなに傷つこうと苦しもうと構わない、などという自己中心的な生き方が見え隠れします。
本当の幸せとは何でしょうか。自分の欲望、願望が達成されることでしょうか。 旧約聖書の詩篇119篇71節の言葉に耳を傾けてみましょう。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
そうたやすくは言えない、ずっしりと重みのある言葉ですね。誰でも苦しみは避けたいと願います。そして、いわれなき苦しみに遭うと、“神も仏もあるものか”などとつぶやきたくなるのが普通でしょう。しかし、この詩篇の作者は、苦しみに会ったことが、自分にとって幸せだったと語っています。なぜなら、苦しみを通して、神様の教えを学んだからだと言います。苦難を耐えることによって魂が練り鍛えられ、そこで神様の真実を知り、神様に生かされる喜びを知るようになったからです。
私は、最大の苦難に遭った御方を知っています。イエス・キリストです。イエス様は神のひとり子であり、罪のない御方でしたのに、十字架にかかって死なれました。それは、私たちの罪のためでした。
罪とは何ですか。先に述べた、人の事よりも自分の事を優先させたい自己中心です。私たちはみな、自己中心性を持っているのです。その罪のために滅びゆく者であった私たちの身代わりに、イエス様は十字架にかかって死なれ、私たちが滅びなくてもよいようにしてくださったのです。
もしあなたが苦しみの中におられるなら、私たちのために苦難に遭ってくださったイエス様を知って欲しいのです。そして、後になって、今の苦しみが、私にとって幸いだったと言うことができる人になっていただきたいと思います。
教会では4月26日(日)午後3時より、チャペルコンサートを開きます。テノールの畑儀文さんとオルガンの安田哲也さんによるコンサートです。入場無料です。あなたのお越しを心からお待ちしています。