雪よりも白く
詩篇51:7
あけましておめでとうございます。お元気でお正月を過ごされたでしょうか。
最近は、関西のあたりでは雪が降ることがめっきり少なくなりましたが、先週の寒波襲来で、宝塚でも久しぶりに雪が降り、一面銀世界になりました。
旧約聖書の詩篇51篇7節に、こうあります。「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」
真っ白な雪は清らかな感じがして、心を洗ってくれるような気がします。しかし、その雪よりも白いものがあります。それは、罪が赦された心です。
私たちは、真の神様を知らず、神様から遠く離れていました。聖書の言う罪とは、神様から離れている心の状態のことです。私たちが人を憎んだり、恨んだり、傷付けたりするのは、真の神様から離れているからです。神様によって造られた私たちは、神様から離れては生きていくことができません。罪を持ったままでは、私たちは滅んでしまうのです。そんな私たちが、罪と滅びから救われるために、神様は、御子イエス・キリストをお送りくださいました。キリストは、罪のない神の独り子でしたのに、私たちのために、十字架にかかってくださいました。
十字架刑というのは、当時、極悪人が処せられる死刑の方法でした。普通、十字架につけられた罪人は、苦痛のために喚きちらし、周囲の人々を呪いながら死んでいったのだそうです。しかし、キリストは、想像を絶する苦しみの中で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と祈られました。今まさに自分を殺そうとしているローマ兵たちのために、そして自分を死刑に定めたユダヤの指導者たちのために、また、訳も分からずに“イエスを十字架につけろ”と叫んだ群衆のために、執り成しながら死んでいかれたのです。
このキリストの十字架が自分の罪のためだったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、救われることができます。私たちの罪は、そう簡単に赦されるものではありませんでした。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても」とありますが、私たちの罪の染みは、どんなに頑張っても消すことができないものでした。しかし、キリストの十字架の血は、私たちの心から罪の染みを消し去り、雪よりも白くしてくださるのです。
あなたの心はいかがでしょうか。雪よりも白い心にしていただきませんか。そのままでキリストのもとにおいでください。キリストはあなたを待っておられます。教会ではあなたのお越しを心からお待ちしています。