キリストにつながって
ヨハネ15:5
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
実をつける植物は、花の美しさや葉っぱの立派さよりも、おいしい実をつけるかどうかが問題になります。とくにぶどうの木は、甘くておいしいぶどうの実を結ぶということに於いてのみ、価値が決まります。
イエス・キリストはこう言われました。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」これは、ヨハネの福音書15章5節の御言葉です。
ぶどうの枝の存在目的は、実を結ぶことだけです。そのほかに、ぶどうの枝の使い道はありません。建築材料にも、盆栽にもならないのです。ですから、実を結ばないぶどうの枝は、切って捨てられるのです。
ぶどうの枝が実を結ぶための条件は、ぶどうの木につながっていることです。そうすれば、木に流れる樹液が枝にも流れ込み、実を結ぶことができるのです。枝が木から離れたままで、独自で実を結ぶことはありません。
キリストは、私たちがぶどうの枝だと言われました。私たちは、実を結ぶようにと、ぶどうの枝として神様から選ばれています。私たちが実を結ぶとは、神様に喜ばれる者になるということです。どうしたら実を結ぶことができるでしょうか。キリストという素晴らしいぶどうの木につながることによって、私たちは実を結ぶことができます。
キリストにつながるとは、キリストを信じるということです。それも、ただ漠然と信じるのではなく、自分の罪を神様におわびして、キリストがこの私の罪のために十字架にかかって死なれました、と信じるのです。そうすれば、私たちのすべての罪はゆるされ、私たちは救われます。この罪からの救いをいただくことが、キリストにつながる第一歩なのです。
私たちは、キリストから離れては、自分では実を結ぶことができません。この世である程度成功できても、神様に満足していただける実は結べないのです。ぶどうの枝として選ばれているのですから、神様に喜んでいただける実を豊かに結ぶ人生を歩みたいですね。
教会では、11月30日(日)午後4時より、チャペルコンサートを行います。高本一郎さんによる古楽器リュートの演奏と、小山恵さんによるソプラノの歌のコンサートです。入場無料です。今からご予定くださり、お誘い合わせておいでください。