神様のみ言葉は道の光
詩篇119:105
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
あなたは、真っ暗闇の中を、懐中電灯も何も持たずに歩かれたことがありますか。暗中模索といいますが、手探りで、おっかなびっくりの歩みしかできないでしょうね。しかし、手にろうそく一本でも持っていれば、足下を照らすことができ、まっすぐに道を歩いていけますね。
聖書の詩篇119篇105節に、こう書かれています。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」神のみ言葉は、私たちが道を誤らずに正しく歩んでいく灯火(ともしび)のようなものだというのです。短い言葉ですが、真理を言い当てています。
私たちは、自分の生き方が間違っていないかどうかの判断基準を、いろいろなものに求めます。親や先輩の意見、人生論を述べた本、あるいは、最近は自分の感覚が基準だという人もいるでしょうか。しかし、どれも確かなものではなく、人によって様々であったり、時代によって全く異なっていたりします。これというものがありません。
そんな中で、聖書のみ言葉は、私たちの足下を照らし、道を正確に教え、誤りなく目的地に導いてくれます。何よりも、み言葉は、私たちの内にある罪をわからせます。私たちが神の前に罪人であることは、み言葉の光に照らされて初めてわかります。わかったら、もうそのままにはしておけません。片時も罪を持っていたくないと思います。そこから悔い改めへと追いやられるのです。そのように導くのは、み言葉です。
そして、み言葉は、そこからどのようにすれば救われるかを示してくれます。イエス・キリストの十字架を信じるのです。このようにして、み言葉は、確実に私たちを救いに導き、さらに主の元にある深い恵みの生涯へと導いてくれるのです。
国外に目を向けるとテロが頻繁に起こり、国内でも凶悪事件が日常茶飯事のように報道され、何が起こっても不思議ではない不安定な時代です。みんなが自分のことしか考えていません。人間のもっとも深い闇の部分がえぐり出されていくような思いがします。私たち一人一人が、神のみ言葉を灯火として歩んでいたなら、と思います。
あなたは、灯火を持っておられるでしょうか。ぜひイエス・キリストのもとにおいでください。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。クリスチャンの方もそうでない方も集っていただける、開かれた集会です。あなたのおいでを心からお待ちしています。