心が主と一つになった者
Ⅱ歴代誌16:9
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
旧約聖書には、多くの王が登場しますが、その中で、アサという王はいつも神様を信じ、神様に従った立派な王でした。ところが、一度敵に攻められたとき、神様により頼まず、外国と同盟を結んで、人間的な力によってピンチを切り抜けようとしました。結果は勝利でした。しかし、神様は悲しまれました。神様は預言者を遣わし、次のように王に警告されました。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」。歴代誌第二16章9節の御言葉です。この御言葉そのものは、味わいのある言葉で、私の愛唱聖句の一つです。
神様が私たちに求めておられるのは、神様の御心と私たちの心が全く一つになっていることです。神様の御心とは何でしょうか。まず、すべての人が救われることです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」とテモテへの手紙第一2章4節にあります。イエス・キリストは、私たちすべての者が罪から救われるようにと、十字架にかかって死なれました。罪を悔い改め、十字架を信じれば、誰でも罪が赦され、救われます。もし、あなたがまだ救われていらっしゃらないなら、ぜひ早く、この救いをいただいてください。
そして、回りの人々が救われるように、祈り、また福音を宣べ伝えていく者になりたいと思います。
さらに、神様の御心とは、救われた者がみな、きよめられることです。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」と、テサロニケ人への手紙第一4章3節にあります。クリスチャンの方で、救われたのに、まだわがままな自分の姿、愛のない自分の姿に気がついて、愕然としたことはありませんか。キリストが流された十字架の血潮は、そのような汚れをことごとく潔め、傷も染みもない者として、神様の前に立てるものにするのです。
この恵みをいただいたとき、私たちは、心が神様の御心と全く一つになっていると言うことができるのです。
そういう者になりたいと思われませんか。成してくださる真実な神様を信じて、求めていけば、必ずそうならせていただけます。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。時々、“礼拝はクリスチャンだけの集まりですか”と尋ねられますが、どなたでもおいでいただける集いです。お気軽にお越しください。心からお待ちしています。