信仰による歩み
Ⅱコリント5:7
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
私たちは、周りの状況や置かれている環境に左右されやすいものです。せっかく気分良くしているのに、些細(ささい)な出来事のために憂鬱(ゆううつ)になってしまう、ということがよくあります。そして、浮き沈みの激しい、不安定な歩みになってしまうのです。どうしたら、周囲に左右されない、落ち着いた歩みが出来るのでしょうか。
聖書のみ言葉に耳を傾けてみましょう。コリント人への手紙第二5章7節にこうあります。「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」
アメリカや日本などの、いわゆる先進国は、物質的に豊かです。衣食住に事欠く人は、全体から見れば、それほど多くはいません。しかし、物質的な豊かさが、必ずしも精神的、いや全人格的豊かさにつながらないということは、最近頻発する少年犯罪の例を見ればわかります。目に見える部分が過度に重要視され、目に見えない心の部分が軽んじられてきたことのツケを、今、私たちは払っているのです。
今こそ、目に見えない世界に注目すべきです。何もことさら神秘的になる必要はありません。この世界を造られ、支えておられる神、私たちを愛していてくださるまことの神に目を留めるのです。私たちは、きよい神様の前に、滅びゆく罪人です。しかし、愛なる神様は、そんな私たちを救うために、かけがえのない御子キリストを十字架におかけになりました。罪なき神の子キリストは、私たちのために身代わりに十字架にかかり、血を流して死なれました。このキリストを信じるなら、私たちは全ての罪が赦され、救われます。
この救いをいただいたなら、私たちは、目に見えるものにではなく、目に見えないお方に目を注いで、信仰によって歩んでいく者となります。そして、そこから真に人間らしい豊かな生き方が始まっていくのです。
あなたは何に目と留めて生きておられるでしょうか。目には見えませんが確かにおられる神様に目を留める歩みをお始めになりませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より、礼拝を行っています。時々、“クリスチャンではないのですが、礼拝に参加してもいいですか”という問い合わせがあります。礼拝は、クリスチャンであるとなしとに関わらず、どなたでもご参加いただける集いです。ぜひおいでくださり、ご一緒にまことの神様を礼拝しましょう。