へりくだった者に
ヤコブ4:6
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
私はよく道に迷います。最近は車にナビゲーションが付いているので、目的地を正しく入力しておけば、間違いなくたどり着けます。ところがこの間は、年代の古いナビが遠回り道を指示するので、自分の記憶のほうが頼りになる、と思って、ナビの指示に従いませんでした。すると、曲がる筋を一つ間違ったために、とんでもない迷路のような道に迷い込みました。“方向は間違っていない。なんとかなるさ”と思って、突き進み、結局かなり大回りをして目的地にたどり着きました。
この失敗の原因はどこにあったのかと、後で反省してみましたが、一度通ったことがあるから、ナビに従わなくても大丈夫、と思う傲慢のためだったとわかりました。自分は道に迷いやすいんだ、という弱さを認めて、すなおにナビに従うとか、人に尋ねるとかという謙虚さが必要だったのです。
新約聖書のヤコブの手紙4章6節にこうあります。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」神は傲慢な心を一番お嫌いになります。傲慢こそ、罪の元凶(げんきょう)です。この罪のために、キリストが十字架にかかって死んでくださったのです。キリストは神の御子でしたが、心低くして私たちと同じ人となられ、十字架のどん底まで下ってくださいました。それは、私たちが罪から救われ、傲慢が砕かれ、心低い者、へりくだった者となるためでした。
傲慢は、神を神とも思わず、自分をいつも正しい者として高ぶらせます。そして、人を批判したり、裁いたりしてばかりいます。そのような高ぶった心のままでは確実に滅んでしまいます。そんなことになってはなりません。
あなたは、自分の傲慢の罪がおわかりになりますか。分かったら、そのままにしないで、神様の前に罪を悔い改め、十字架を信じましょう。そして、罪赦された者として、神様の前にへりくだった者として歩む者となりましょう。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。時々、“礼拝はクリスチャンだけの集まりですか”と尋ねられますが、どなたでもおいでいただける集いです。お気軽にお越しください。心からお待ちしています。