永遠のものに目をとめて
Ⅱコリント4:18
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
私たちの周りには、目に見える世界と、目に見えない世界とがあります。魂とか、天国とかは、目に見えません。“だからそんなものは存在しないのだ”と言われる方もおられます。しかし、見えないから存在しないと言えるでしょうか。
私たちが生きていく上で欠かすことが出来ない酸素は、目に見えませんが確かに存在します。それと同じように、魂や天国も、見えませんが存在するのです。それどころか、私たちがもっと真剣に考えなければならない問題です。なぜなら、私たちが生きるか死ぬかに関わることだからです。
新約聖書のコリント人への手紙第二4章18節に、こうあります。「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
見えるものは、一見、確かなようであり、信用するに価するようです。しかし、見えるもので、いつまでも変わらないものはありません。私たちを取り巻く環境も変わりますし、ものの値打ちもどんどん変わります。私たち自身も、肉体的に衰えたり、精神的に不安定になったりします。時の流れや周囲の状況によって変わらないものなど、何一つありません。
しかし、不変のものがあります。それは、天地を創造されたまことの神であり、またその神から与えられる恵みです。旧約聖書の昔に、イスラエルの民をエジプトから導き出された神は、今も生きて働いておられ、私たちを罪と滅びから救い出してくださいます。イエス・キリストの十字架によってです。
キリストは罪なき神の子でしたのに、私たちの住むこの世に来られ、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、死なれました。私たちが罪を悔い改め、キリストの十字架が私のためでしたと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、永遠の命が与えられます。これがキリストの贖いの恵みであり、いつまでも変わらないものです。
あなたも、ぜひこの永遠の救いを、自分のものにしてください。そして、目には見えませんが確かにおられ、罪と滅びから私たちを救って、魂を永遠の憩いへと導いてくださる主を信じる者となりましょう。
教会では、毎週日曜日の午前10時半より礼拝を行っています。礼拝はクリスチャンはもちろん、そうでない方でもどなたでもおいでいただける開かれた集いです。お気軽にお越しください。お待ちしています。