へりくだる者に
ピリピ2:9-11
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第14回は、2章9節~11節です。こうあります。「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」
キリストは、神の栄光を捨てて、人となり、僕となってこの世に来られ、十字架の死に至るまで神の御心に従われました。それは、徹底した従順のお姿でした。そのようなキリストを、神は喜ばれ、高く引き上げなさいました。キリストは、死なれましたが、三日目に墓の中から復活され、天に昇られ、神の右の座にお着きになりました。それは、神が、全能の力をもってキリストを死の闇からよみがえらせ、天に昇らせ、ご自身の右の座に着かせなさったのです。徹底的に低くなられたキリストを、神が最高に高く引き上げなさったのです。
神は、心の高ぶる者、傲慢な者をお嫌いになります。神は、心の低い者を喜ばれます。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」とヤコブの手紙4章6節にあるとおりです。私たちは、すぐに傲慢になります。とくに調子よくいっているときや、人からチヤホヤされているとき、すぐに天狗になります。傲慢はどこから来るのでしょうか。全能の神から心が離れているというところから来ます。
旧約聖書の中に、バベルの塔の話が出てきますが、人々が塔を築いて天にまで届かせようとしたとき、神が彼らの言葉を乱して、工事を中断させ、人々を全世界に散らされたというお話です。傲慢な心が撃たれたのです。
私たちは、全能の神の前にへりくだるべきです。しかし、罪の心のままでは、本当の意味でへりくだることはできません。罪を悔い改め、十字架を信じて罪の赦しをいただきましょう。さらに、救われてもまだ神に喜ばれない自己中心の自我に気づき、そういう己に死んで、キリストに内に生きていただくという聖潔の恵みをいただいて、キリストのように心からへりくだった者にしていただきましょう。そういう者を、神は祝福し、高く引き上げてくださいます。恵みによって、主のようにならせていただきましょう。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意しながら、毎週日曜日午前9時半からと11時から礼拝を行っています。あなたのおいでを心よりお待ちしています。