希望のダイヤル

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※毎週土曜日に更新されます。

2020.06.27

キリストのように

ピリピ2:6-8

こんにちは。ご機嫌いかがですか。

ピリピ人への手紙シリーズ第13回は、2章6節~8節です。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」

先週も引いた御言葉です。キリストは、神と等しいお方でした。「わたしを見た人は、父を見たのです」と、ヨハネ14:9でキリストがおっしゃった通りです。キリストは、目に見えない神が、目に見えるお姿となって来られたお方で、神の権威、力、栄光を持っておられるお方でした。病人をいやし、嵐を静め、五つのパンと二匹の魚で5千人を養われるお方でした。

そのお方が、「神としてのあり方を捨てられないとは考えず」、一人の赤ん坊として生まれ、私たちと同じ肉体を持つ人間として歩まれました。キリストは、決して権力や富のある人に近づいたりされず、むしろ貧しい者、虐げられた者、疎外された者の友となられました。まさに「しもべの姿を」とられたのです。

キリストは、一挙手一投足、すべて神の御心に従われました。御心に添わないことは、たといそれが良い事のように思えても、何一つされませんでした。その果てが、十字架でした。キリストは、当時のユダヤ人指導者たちによって、十字架につけられたのですが、それは、キリストが神の御心に従われて、ご自分からいのちを捨てられたのです。

何のためでしょうか。私たちの救いのためです。神に対して罪を犯して、滅びを待つばかりだった私たちが、罪が赦され、滅びから免れさせていただくためです。さらには、救われてもまだ神に喜ばれない自己中心の古き人が死んで、キリストに内に住んでいただき、神に専属する魂にされるためです。これが全き救いです。

この恵みをいただいたら、どうなるでしょうか。キリストのようになります。キリストのようになるとは、どういうことでしょうか。腹を立てない者になるでしょうか、バリバリ奉仕し、力強く証しできる者になるでしょうか。そうならないとは言いません。でも、そんなことより何より、キリストのように喜んで神の御心に従う者になります。キリストが十字架の死に至るまで従順に歩まれたのは、私たちをそういう者にするためだったと言っても過言ではないのです。

恵みをいただいて、キリストのように、主のようにならせていただきたいですね。

教会では、新型コロナウイルス感染防止に注意を払いながら、毎週日曜日午前10時半と、午後1時半に礼拝を行っています。7月からは午前9時半からと11時からの二部になります。あなたのおいでをお待ちしています。

 

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