礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2020.05.24

信仰の柱

エレミヤ1:17-19

聖書では、出入り口、門柱や戸口の柱が重視されている。そこに信仰が象徴されている。“信仰をもつ”というヘブル語“アーマン”には、“柱、門柱、戸口の柱”という意味がある。

今日の箇所にも「鉄の柱」とある。「要塞の町」「青銅の城壁」は、その前後から、エルサレムである。エルサレムには当時、ソロモン王の建てた神殿があった。彼は神殿の入り口に巨大な二本の柱を建て、金で覆った(1列王7:15)。ヨアシュ王の時代、クーデターによって王位を奪還した際、この柱の傍に立ち、本来の王位継承者であることを証しした(2歴代23:13)。それから、ヒゼキヤ王の時代、侵攻してきたアッシリア帝国に対して、王はこの柱の金を剥ぎ取って渡した(2列王18:16)。さらに、ヨシヤ王の時代、神殿補修工事が行われた(2列王22)。それは新たに資材調達が必要なほど大規模な工事だったが、ということは、神殿はそれほど破損と風化が進んでいたのだ。また、神殿の中では偶像崇拝や悪しき風習が行われ、汚れたもので満ちていた(2列王23)。神殿の入り口には太陽崇拝の偶像が置かれ、人々は神殿に背を向け、偶像を拝んでいた(エゼ8:16)。ヨシヤ王はこの有り様に胸を痛めていた。この補修工事中に契約の書が発見され、王は悔い改め、主に従うことを誓う。彼は、二本の柱の傍に立ち、民の前で宣誓をした(2列王23:3)。エレミヤが預言活動を始めたのは、このヨシヤ王の時代、信仰復興が起こる5年前であった(エレ1:2)。目に映るのは青銅の柱。しかし、主は言われる、「あなたを…鉄の柱…とする」と。鉄は青銅よりも強い。もちろん、実際には王国は滅亡し、神殿も柱も破壊される。この鉄の柱とは、目に見える柱のことではなく、信仰のことなのである。

さて、次のことを教えられる。

1.信仰の柱を据える。はっきりと救いをいただくこと。イスラエルの民は、出エジプトの際、家の戸口の柱に子羊の血を塗った(出12:22)。これは彼らの信仰の原体験となった。これはキリストの血を通して救われることを表す。私たちにとっても、救いは信仰の土台である。

2.信仰の柱を守る。信仰を持ち続けること。信仰を揺るがすものが必ず来る。ヒゼキヤにとってのアッシリア帝国侵攻のような由々しき事態が起こる。そのとき表面の金は剥ぎ取られるかもしれない。だが、体裁より柱である信仰が重要なのだ。信仰は金よりも尊い(1ペテ1:7)。主は、そのことをはっきりさせるために、そのような事態が起きるのをお許しになることがある。また、私たちは内においても勝利をとる必要がある。ヨシヤ王の改革が、神殿内部に及んだように、私たちの内側にも光が当てられる。私たちの前にも信仰に代わるものが置かれていないか、と。キリストは私たちの鉄の柱、いや、門となってくださり(ヨハ10:9)、悪しきものを駆逐することができる。

3.信仰の柱の前を生きる。信仰を働かせて生きるということ。これは教会の姿にもつながる(1テモ3:15、黙3:12)。旧約の人々は柱の前で誓い、裁き、神の前の姿を問われた。私たちも信仰の柱の前を生きたい。実際の生活の只中で信仰を働かせていきたい。キリストが信仰を完成させてくださる(ヘブ12:2)。

私たちの柱はどうなっているか。私たちも、キリストを通して、鉄の柱である信仰をいただいて、主を信じ従っていきたい。今の終わりの時代を信仰に固く立って進んでいきたい(ユダ20、ヘブ11:6)。