礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2020.03.15

血による贖い

エペソ1:1-14

ここに神の救いの計画の深さが記されている。その中心は「血による贖い」(7節)だ。これこそ我らの救いの源泉だ(1ペテ1:18,19)。罪なき神の御子キリストの血によって、我らは罪と滅びより救われ、自由になった。サタンの支配下から御子の支配下へ移されたのだ(コロ1:13)。

血による贖いとはどんな恵みか。

 

1.罪の赦し(7節)

十字架によって、過去のすべての罪が帳消しになる。我らは聖い神の前にみな罪人だ。我らは魂が死んでおり、生まれながら神の御怒りを受けるべき者だった(2:1-3)。そんな我らが罪の赦しをいただいた。御子の血という代価が払われて、罪と滅びの呪縛(じゅばく)から解放されたのだ。罪の恐ろしさを知って悔い改め、十字架を仰いで赦罪が与えられた(マタ9:2、ヨハ8:11)。

 

2.神の子たる身分(5節)

神は我らに、神の子たる身分を授けようとされた(ヨハ1:12)。滅びの子が神の子にされるのだ。神に受け入れられているという確信ほど、平安をもたらすものはない。これが義認だ(2コリ5:21)。赦罪と義認が救いの根底にある。

 

3.永遠の選び(4節)

我らは「世の基を置かざりし先より」(4節元訳)選ばれていた。気も遠くなるようなご計画ではないか(ヨハ15:16)。一方的な選びだ。我らがそれを知ったのは、後になってからだ。

 

4.聖く傷のない者(4節)

 赦罪だけでなく、聖潔(きよめ)まで与えられる。我らが神の前に傷のない者にされるのだ。傷とは、神に従わない敵対性だ。御心に従うより我意に従いたい自分、主を愛すると言うものの、結局は自分が一番かわいいという己…。そのような神に喜ばれない古い自分に対して十字架で死に、内に復活のキリストに住んでいただくとき(ガラ2:19,20)、初めて主の前に傷なき者になる。

 

5.天上での祝福(3節)

我らが恵みをいただくことは、天上での会議において決定済みだった。神の前でキリストは我らの祝福を計画された。既に我らのために備えられている聖霊の恵みは、内住の聖霊という形で我らのところに届く。我らに聖霊の証印が押されるのだ(13節)。

 

6.御心の奥義(9節)

奥義とは将来の祝福だ。時が満ちて、キリストの再臨が実現する(10節)。その時万物が一つになり、この卑しい体が主と同じ栄光の姿に変えられる。

 

7.目的は神をほめたたえるため(12節)

贖われた我らが神をほめたたえる者になること、つまり我らが礼拝の生涯を送ることが贖いの目的であり、主が血を流された目的だ。我らが救われたのは、自分が満足するためではなく、神の作品として神を喜ばせるためだ(2:10)。

 

これほど豊かな祝福が、神の豊かな恵みのゆえに我らに備えられている。全ては血による贖いが基だ。

我らが義とされ、聖とされ、体が贖われるという、この義認・聖化・栄化の全き救い(1コリ1:30)は、御子の血によって、世界の基が据えられる前から定められていたとは、なんという驚くべき神のご計画か。これをぜひ自分のものにしたい。十字架上ですでに成し遂げられている救いを、信じて受け取りたい。血による贖いの恵みをもっと知り、体験し、この終わりの時代にあって大胆に語り伝えたい。