見分ける力
ピリピ1:9-11①
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第4回は、1章9-11節です。少し長いですがお聞きください。「私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。」パウロの注ぎ出す祈りです。
まず彼は、愛が豊かになるように祈ります。愛といっても、“あの人が好き”とか“この人とはウマが合う”というような感情的なものではありません。「知識とあらゆる識別力によって」深まるべきものです。その結果、「大切なことを見分けることができ」るようになります。愛とは、神様のために、真に大切なものとそうでないものとを見分けることができるものなのです。
私たちは、日常生活の中で、仕事のこと、家事のこと、育児のこと、勉強のことなど、様々なことに煩わされます。どれも大切なことですが、一度に何もかもはできませんから、優先順位をつけなければなりません。そんな時、何を基準にするかが問題です。自分の感覚や経験や人の意見でしょうか。いいえ、神様の御心に沿ったものであるかどうかが基準になるべきですね。神様の御心に照らして、何を第一にしていくべきかを見きわめることができる、それが神様に対する愛です。
この深い愛をいただくためには、なんと言ってもまず救われることです。今まで神様に背を向けて生きてきた罪を悔い改め、キリストの十字架が自分の罪のためだったと信じて、罪の赦しをいただきましょう。罪からはっきり救われたら、誰でも主を愛したいと思います。本当の知識とあらゆる識別力で、何がすぐれているか、大切であるかを見分けつつ、判別しつつ、主への最高の愛をおささげしていきたいですね。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を開いています。賛美歌を歌い、聖書からのメッセージに耳を傾ける中で、神様から平安と励ましをいただく、恵みの時です。忙しい毎日を送る中で、一週間の中の日曜日の朝のほんのひと時、神様の前に出て心を落ち着けることができる礼拝は、きっとあなたの魂にオアシスとなって潤いを与えてくれることでしょう。心からあなたのおいでをお待ちしています。