キリストのしもべ
ピリピ1:1
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
今週から少し趣向を変えて、新約聖書ピリピ人への手紙を連続して取り上げてお話しします。今までと比べると、ちょっと堅い感じがするかもしれませんが、神様からの大切なメッセージをお聞き取りください。
1章1節にこうあります。「キリスト・イエスのしもべである、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。」
この手紙の差出人は、パウロです。彼は自分のことを「キリスト・イエスのしもべ」と言っています。しもべとは奴隷のことです。奴隷は自分の主義主張を表しません。ただ主人に仕えるだけです。主人の命じるままに行動し、主人に喜ばれることだけに専心します。パウロは、自分はそういうキリストのしもべだと言うのです。
私たちは、ともすると自己主張を強く出しすぎるために、人とぶつかり、争い、果ては人間関係がもつれて、傷付けあうということがよくあります。しかし、自分はしもべだという立場に立てばどうでしょうか。決して、人の言いなりになるのでも、上の人に媚を売るのでもありません。キリストのしもべです。主人はキリストなのです。どこまでも心を低くして、キリストに従うなら、同じような心で人に接することができるようになるはずです。
誰よりもキリストが、まず私たちのしもべとなってくださいました。神の御子であられたにもかかわらず、人となってこの世に来られ、十字架におかかりになりました。私たちを罪から救うためです。“自分の権利、自分の利益”を最優先させる自己中心、これこそ罪の親玉です。その罪を持ったままでは、私たちは確実に滅びます。その罪と滅びから救うために、キリストは天の栄光を捨てて、地上に来られ、十字架にかかられたのです。
自分の罪を悔い改め、キリストの十字架が自分のためだったと信じれば、私たちは誰でも罪が赦され、新しく生まれ変わります。さらに、キリストが十字架で流された血潮によって、内側の汚れがきよめられ、キリストを内に宿す恵みをいただいたら、キリストのしもべとして、キリストに従順に従い、また人に対しても柔和な心で接することができる者になります。
あなたもキリスト・イエスのしもべになりたいと思われませんか。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を開いています。賛美歌を歌い、聖書からのメッセージに耳を傾ける中で、神様から平安と励ましをいただく、恵みのひと時です。あなたのおいでをお待ちしています。