雪よりも白く
イザヤ1:18
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
この間テレビを見ていたら、北アルプスの雪山の様子が放映されていました。その美しさに、思わず見とれてしまいました。
雪は白いですね。真っ白な雪は、心を洗ってくれるような気がします。
旧約聖書のイザヤ書1章18節に、こうあります。「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」ここで、「緋のように赤くても」の「緋」とは、染料の緋色のことです。
雪は白い。しかし、その雪よりも白いものがあります。それは、罪が赦された心です。
私たちは、真の神を知らず、神から遠く離れていました。聖書の言う罪とは、神から離れている心の状態のことです。私たちが人を憎んだり、恨んだり、傷付けたりするのは、真の神から離れているからです。神によって造られた私たちは、神から離れては生きていくことができません。罪を持ったままでは、私たちは滅んでしまうのです。 そんな私たちが、罪と滅びから救われるために、神は、御子イエス・キリストをお送りくださいました。イエス様は、罪のない神の独り子でしたのに、私たちのために、十字架にかかってくださいました。
十字架刑というのは、当時、極悪人が処せられる死刑の方法でした。普通、十字架につけられた罪人は、苦痛のために喚きちらし、周囲の人々を呪いながら死んでいったのだそうです。しかし、イエス様は、想像を絶する苦しみの中で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」と、相手のために執り成しながら死んでいかれたのです。
このイエス様の十字架が自分の罪のためだったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、救われることができます。私たちの罪は、そう簡単に赦されるものではありませんでした。「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても」とありますが、私たちの罪の染みは、どんなに頑張っても消すことができないものでした。しかし、イエス様の十字架の血は、私たちの心から罪の染みを消し去り、雪よりも白くしてくださるのです。
あなたの心はいかがでしょうか。雪よりも白い心にしていただきませんか。そのままでイエス様のもとにおいでください。イエス様はあなたを待っておられます。