何の功績もないのに
ローマ3:24
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
予期しなかったときに、予想もしなかった人からプレゼントをいただいたら、うれしいものですね。でも、そのあとで、なぜプレゼントをくださったのかな、と考え込んでしまいます。誕生日でもないし、その人に何の恩義があるわけでもないし…。全然理由が見つからなかったら、かえって気味が悪くなりませんか。何か魂胆があるのでは、と疑ってしまうかもしれません。
しかし、まことの神様は、私たちに、何の理由もないのに、すばらしいプレゼントをくださいました。新約聖書のローマ人への手紙3章24節にこうあります。「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
神様はどんなプレゼントをくださったのでしょうか。義と認められるというプレゼントです。義と認められるとは、少し堅い言葉ですが、平たく言えば、神様に受け入れられると言うことです。「価なしに」とありますから、無償で、ただで、何の代償も求められずに、私たちは神様に受け入れていただけるのです。
そんなに神様は気前がいいのでしょうか。いいえ、そこには大きな犠牲が伴っています。「キリスト・イエスによる贖いを通して」とは、キリストの十字架によってということです。罪なき神の子キリストは、私たちの罪のために、身代わりとなって十字架にかかってくださいました。私たちを罪と滅びから救い出すためでした。この救いが私たちに、無償で提供されているのです。「価なしに」なんとありがたい恵みでしょうか。
「価なしに」とは、何の功績もないのに、価値がないのに、という意味にもなります。私たちの罪は、償うことができないほどあまりにも深いものです。ちょうど、返済不能なほどに借金を背負い込んだようなものです。しかし、神様は、そのような私たちに、罪を洗い払い落としてから私の所に来なさい、とか、私にふさわしい清い者になってから来なさい、とは言われません。自分の心をきれいにするための何の功績もないのに、キリストの血の功がありますから、そのままで、神様に受け入れていただけるのです。
ただで、功なくして、私たちが神様に受け入れていただける。これがグッド・ニュース、うれしい知らせなのです。あなたも、ぜひ、このグッド・ニュースを受け取られ、神様の祝福の中にお入りになりませんか。
教会では、24日(日)午後3時より、ジャズコンサートを開きます。大久保和慧さんによるピアノ、齊藤尚男さんによるベース、飯森大輔さんによるドラム、サファイアはるこさんによるサックスという豪華な顔ぶれです。入場無料です。お気軽にお集いください。