礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2019.07.21

愛する御子のご支配の中に

コロサイ1:1-14

本書はパウロが晩年、ローマの獄中で書いた手紙だ。本書のテーマは“Christ and Christian”で、1章はby Christ、2章はin Christ、 3章はwith Christ、4章はfor Christというのが本書の骨組みだ。

5-6節の4つの動詞には意味がある。「聞きました」は福音が耳に、「理解した」は福音が心に、「実を結び」は福音が人生に、「成長しています」(口語訳「広がり続けています」)は福音が町全体に届いたことを表している。我らもそれぞれ福音との出会いがある。福音が人生にまで届いたという出会いをし、さらに地域全体に影響を与えていく証し人となりたい。

福音の実とは、「キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰」(4節)、「すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛」(同)、「あなたがたのために天に蓄えられている望み」(5節)、つまり、キリストヘの信仰と、聖徒への愛と、天の資産への希望だ。今までも何かを信頼し、愛し、望んでいたが、しょせん墓場までのものだった。伝えられた福音が本当に腹に入って、生まれ変わって初めて、どんな時も主を信じる信仰、互いへの愛、御国の希望という実が結ばれる。福音が生涯に届いて、そこから成長が始まるのだ。

パウロは、コロサイ教会の人々の成長のために祈る(9-12節)。①神の御旨を深く知る知識に満たされるよう。②御心にかなった生活をして主を喜ばせるよう。③良い業の実を結ぶよう。④神を知る知識が増し加えられるよう。⑤世の誘惑とサタンの攻撃に対して強くされるよう。⑥忍耐と寛容を尽くすことができるよう。⑦喜びをもって感謝をささげられるよう。という七重の祈りだ。

何を感謝するのか。(a)聖徒の相続分にあずかる資格が与えられたこと(=未来の望み)、(b)暗やみの圧制から救い出され愛する御子のご支配の中に移されている恵み(=現在の恵み)、(c)御子による贖い、罪の赦しを受けた恵み(=過去の恵み)を感謝するのだ。

順序としては(c)(b)(a)だ。我らは、十字架によって罪の赦しを得、暗闇から御子のご支配の中に移され、天の資産を相続する特権にあずかっている。感謝してもしきれない恵みではないか。

我らの罪過のために、罪を知らない神の御子が十字架にかかられた。我らは悔い改めと信仰によって、赦罪と義認が与えられた。

そのように明確に救われた者は、しばらくすると、内面の自我という暗闇に気づく。平安、感謝、喜びがない。周囲の状況により、聖徒のようにも不信者のようにも振る舞うような己だ。しかしキリストの救いは完全だ。神は、そのような古い自分に対して十字架で死んで、よみがえりのキリストが内に住み給うという恵みを与え給う。キリストの死とよみがえりに合わせられるという、信仰によっていただく恵みだ。これによって、神に専属する魂(イザ43:1)としていただくことができる。そして、文字通り御子のご支配の中に移された魂となる。

そのような者に、天の資産を相続する望みがはっきりする。神に喜ばれるクリスチャンの姿だ。高い標準だ。しかし信じ、渇き、従えば、主は必ず与え給う。

低きで満足してはならない。低いほうが楽であるかのように見えることもある。しかし真の安息ではない。

御子のご支配の中に移された者にされたい。福音の深みを知った者になりたい。神が愛してやまない御子のご支配の中に移されたなら、神は我らをもこよなく愛し給う。そして、我らも御子を心から愛し申し上げる魂として、地上の生涯をまっとうさせていただきたい。