慰めに満ちておられる神
Ⅱコリント1:3,4
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
悲しみを覚えているとき、孤独なときなどに、慰めの言葉をかけられると、心が和みます。しかし、時には、表面的で、おざなりな慰めにすぎないこともあります。そんなときは、慰められるどころか、かえって傷が深まったり、新たな苦痛が加えられたりします。
でも、神様の与えられる慰めは、真実です。コリント人への手紙第二1章3,4節にこうあります。「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」
真に人を慰めることができるのは、その人と同じ苦しみや悲しみを経験したことがある人です。かけがえのない一人の子どもを失った人を、本当に慰められるのは、その悲哀を共有できる人です。
神様は、私たちを真に理解し、慰めてくださるお方です。神様は、独り子キリストをお与えになったほどに、私たちを愛してくださいました。神の子キリストは、何の罪もないお方でしたのに、むごい十字架にかかって死なれました。神様は、キリストがそのように扱われることをご承知の上で、独り子を私たちに下さったのです。
そこには、どれほどの神様の痛みがあったことでしょう。断腸の思いであったでしょう。けれども神様は、私たちが罪のために滅びゆくのを見るに忍びなくて、私たちが罪と滅びから救われるようにと、御子を十字架におかけくださったのです。私たちが救われるためには、それしかほかに方法がなかったのです。
神様は、私たちのために、それほどつらいところを通ってくださいました。ですから、私たちがどんなに深い悲しみを味わい、苦痛にあえいでいるときでも、豊かな慰めをもって私たちを慰めてくださるのです。
この神様の慰めは真実です。その場しのぎのものや、うわべだけのものでありません。私たちの悩みを本当に理解し、癒やしてくださいます。あなたは、真の慰め、癒やしを必要としておられないでしょうか。ぜひ、まことの慰め主、癒やし主である神様のもとにおいでください。
教会では、あなたのおいでを心からお待ちしています。