私の美しいひとよ
雅歌2:10-14
こんにちは。ごきげんいかがですか。
3月も半ばになってきました。この冬は格別寒かっただけに、春の訪れを待ちわびる思いはひときわ強いように思います。
聖書には、春を巡っての美しい記述がたくさんあります。雅歌2章10~14節にこういう御言葉があります。少し長いですが、ご紹介しましょう。
「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は花をつけて香りを放つ。わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで。岩の裂け目、崖の隠れ場にいる私の鳩よ。私に顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は心地よく、あなたの顔は愛らしい。」
ここで「わが愛する者、私の美しいひとよ」と呼ばれているのは、私たちのことです。私たちは、そのままでは神様の前に立つことができない罪びとです。罪びとと言われて、腹が立ちますか。聖書の言う罪とは、盗みとか殺傷などというような社会的犯罪だけではなく、それ以前の、自己中心とか妬みとか蔑(さげす)みなど、私たちの心の中にうごめく、およそ神様に喜ばれることがない汚い思いを指します。私たちはみな、とても神様から「私の美しいひとよ」などと言っていただけない罪びとなのです。
ところが、そのような私たちを、神様はなお愛してくださり、御子イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。キリストは罪のないお方でしたのに、十字架にかかって死なれました。それは、私たちの罪のための身代わりだったのです。ただ私たちが、自分の罪を悔い改め、キリストの十字架がこの自分のためだったと信じるなら、誰でも、どんな罪でも赦され、救われます。この罪からの救いをいただいた者は、神様から「わが愛する者、私の美しいひとよ」と呼んでいただくことができるのです。
神様は、あなたにも「私に顔を見せておくれ」と言われます。もしあなたが、私なんかだめだとか、私なんかいっそこの地上からいなくなってしまった方がいいのだとか思っておられるなら、この神様の呼びかけを思い出してください。
教会では、4月8日(日)午後3時より「スプリング・イースターコンサート」を予定しています。藤丸 麗さんによるピアノコンサートです。入場無料です。今からご予定ください。