真実なものを求めて
ピリピ4:8
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ピリピ人への手紙シリーズ第27回は、4章8節です。こうあります。「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
価値観の多様化という言葉をよく耳にします。これが良い事と思われてきたことが、それほどでもなく、良くない事と思われてきたことが、なかなか価値があると認められる、というようなことが、いろいろな分野で見受けられます。たとえば、同性愛などというものは、少し前まではタブー視されてきましたが、最近は社会的にも容認される傾向にあります。私などは、古臭いと言われてしまうかもしれませんが、価値観の多様化なるものは、曲者(くせもの)だなと思います。自由なようで、混乱を招くように思えるのです。
私たちは、どこに価値観を置けばいいのでしょうか。それは、聖書の御言葉です。聖書は何と言っているか、ということです。“すべて真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、徳と言われること、称賛に値することを心にとめよ”と言っています。
まず何と言っても、真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこととは、イエス・キリストご自身です。キリストは、罪のない神の御子でした。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなく、罵られても罵り返さず、苦しめられても脅かすことをされませんでした。私たちの罪を一身に背負って十字架につかれ、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、自分で分からないのです」と、私たちのために祈ってくださいました。何の打算・計算もなく、ただ私たちが罪から救われるためです。これほど真実なお方がいるでしょうか。
私たちは、まず、このキリストを信じ、魂の救いをいただきましょう。そうすれば、あと、何が真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきことかがおのずとわかってきます。真の価値観は、魂が救われているかどうかではっきりするのです。
あなたの価値観は、世の中の動きに流されない、はっきりしたものになっていますか。あなたのために十字架にかかり、惜しみなくいのちを投げ出してくださったキリストを信じてください。そして、神様に向かって確かな歩みを進めていってください。
教会では、5月21日(日)午後4時より、チャペルコンサートを行います。友枝良平さんによるオカリナとインディアンフルートのコンサートです。入場無料です。どなたでもおいでください。お待ちしています。