「罪の赦しの確信が与えられて」岡田紀子
- 聞き手:今回は、20年ほど前に当教会に入会された岡田紀子さんに登場していただきます。岡田さんは結婚を通して当教会に移られたのでしたね。
- 岡田紀子さん:はい、そうです。教会がまだ市役所前交差点の近くにあった時でした。
- 聞き手:クリスチャンホームに育たれたんですよね。
- 岡田紀子さん:そのとおりです。ただ、両親は真面目なクリスチャンだったようですが、私はそれほど熱心な信仰者ではなく、この教会に導かれて、たくさん教えていただきました。
- 聞き手:お子様がおひとりいらっしゃいますね。
- 岡田紀子さん:はい、高校1年生の娘がいます。
- 聞き手:娘さんに託したい希望は何ですか。
- 岡田紀子さん:そうですね…。小学校5年生の時に洗礼を受けましたから、やっぱり救われたクリスチャンとして、喜びをもって主に仕えていく女性に育ってほしいと思いますね。
- 聞き手:ありがとうございました。では、お証しをどうぞ。
私が教会に通うようになったきっかけは、当時社会人となったものの、希望する職業に就くことが出来ず、もがいていた私に、すでにクリスチャンとなっていた母が「教会の礼拝に一緒に行かないか?」と誘ってくれたことからでした。
以前の私なら別に私には関係ないとか、神様なんか信じていないからと突っぱねていましたが、この時は、母が驚くほど素直に応じたそうです。今から思えば、神様の時だったと本当に感謝しています。
その時から、私は教会の礼拝に毎週出席するようになりました。やがて洗礼も受けさせていただき、クリスチャンとして生活するようになりました。
キリスト教の洗礼を受けて3年もたったころ、結婚によって、現在通っている宝塚栄光教会の礼拝に出席するようになりました。礼拝に出席し、聖書の御言葉を聞くだけでなく、教会の牧師先生とも沢山お話をさせて頂きました。
ある日、いつものようにお話している中で、牧師先生が「あなたは神様に罪を赦された経験がありますか?」と私に質問をされました。私はその質問に「はい」とは答えられませんでした。
私は、聖書の中で語られる、イエス・キリストが十字架に架かられて死なれた、ということは知ってはいても、イエス・キリストが私の罪を赦すために十字架に架かられて死なれたということが分かりませんでした。この時初めて、私には神様に罪を赦された経験がなく、聖書の中で語られる「救い」が実は分かっていないということが分かりました。
すぐに私は、過去に犯した自分の罪に向き合いました。そして、神様の前で私の罪を告白し悔い改めました。そうしたら、牧師先生が「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」というマタイの福音書9章2節の御言葉をもって祈って下さいました。
この時、私の心の中に、今まで経験したことのない喜びを感じました。私は確かに神様に罪を赦され救われた、という確信が与えられ、喜びで心が一杯になりました。この喜びは、何にも代えがたいもので、現在も変わることはありません。神様が下さったからだと信じています。
まだこの喜びを知らない方々にも知って頂きたいと願って、私は神様に祈っています。