真実なイエス様
Ⅱテモテ2:13
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
子どものころ、友だちと遊ぶ約束をいていながら、忘れてしまって、約束をふいにしてしまったことがあります。今ふり返って、自分は不真実な人間だったなと思います。
私たちは不完全な人間ですから、失敗が多いものです。“ごめんなさい”と言って頭を下げて済むならまだしも、時には取り返しのつかない大失敗をしでかしてしまうこともあります。はっきり言って、私たちは不真実な者なのです。
新約聖書、テモテへの手紙第二、2章13節にこうあります。「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」口語訳聖書では、もっとはっきり「たとい、わたしたちは不真実であっても…」とあります。そうです。私たちは、「たとい」どころか、確かに不真実なのです。それは、罪のためです。
私たちは、聖い神様の前に立たされるなら、皆罪人であることがわかります。聖書に「義人はいない。ひとりもいない」また「すべての人は、罪を犯した」とある通りです。罪とは、何か悪い事をするという以前に、心をまことの神に向けない、神から離れた生き方をしているということなのです。罪を持ったままでは、私たちは滅びなければなりません。聖書に「罪から来る報酬は死です」とある通りです。
けれども、愛なる神様は、私たちが滅びるのを見るに忍びないと思われ、独り子イエス様をこの世にお遣わしになりました。イエス様は私たちと同じ人として来られましたが、私たちのように罪を犯すことは一度もありませんでした。そのイエス様は、十字架にかかって死なれました。それは、神様が私たちを罪から救おうとして、愛する御子イエス様を十字架にかけられたのでした。私たちが自分の罪を悔い改め、イエス様の十字架が自分のためだったと信じるなら、罪から救われます。
イエス様は、ただ神の御心に従って十字架にかかられました。ここにイエス様の真実があります。イエス様の真実は、神の御心への従順に現されたのです。先ほどの御言葉に「彼は常に真実である」とありました。イエス様は私たちに対して常に真実です。決して私たちをごまかしたり偽ったりなさいません。
このイエス様を信じて、救いをいただいて、私たちもまた真実にイエス様に信頼して従って行く者とならせていただきましょう。
教会では、毎週日曜日、朝10時半より礼拝を行っています。礼拝は、どなたでもおいでいただける開かれた集会です。お気軽においでください。