キリストの救い
Ⅱコリント5:21
こんにちは、ご機嫌いかがですか。
聖書のメッセージは何でしょうか。旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻、あわせれば66巻から成る分厚い聖書は、私たちに何を伝えているのでしょうか。
一言で言うなら、新約聖書の、コリント人への手紙第二、5章21節のみ言葉に集約できるでしょう。そこにはこうあります。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」つまり、神様は、私たち罪人の身代わりに、罪のないキリストを十字架にかけられ、私たちが罪と滅びから救われる道を開いてくださった、ということです。
私たちは、生まれたままでは、神様の前に罪人です。天地を創造されたまことの神様を知らず、自分勝手な道を歩んでいます。わがままで、自分のことしか考えることができず、人を心から愛することができない者です。自分では自由だと思っていても、実は、罪の縄目にがんじがらめに縛られています。そして、そんな私たちは、行き着く所は、滅びなのです。
けれども、愛なる神様は、私たちが滅びるのを見るに忍びないと思ってくださり、特別な救いの手だてを講じてくださいました。それが、キリストの十字架です。神様は、私たちの罪のために、私たちの身代わりに、罪を知らない神の子のキリストを、罪人のようにして十字架におかけになりました。これによって、罪人の私たちが、神様の前に罪が赦された者、罪を認められない者、義なる者としていただけるのです。これがキリストの救いです。
私たちは、救われるだけの値うちは何もありませんが、ただ、神様の憐れみによって、キリストの十字架の贖いのゆえに、救われるのです。
あなたにも、この救いを受け取っていただきたいのです。そして、神様が導こうとしておられる祝福された人生へと踏み出していただきたいのです。キリストの十字架のお苦しみが自分のためだったことを、ぜひ知ってください。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から、礼拝を行っています。時々、“私はクリスチャンではないのですが、礼拝に参加できますか”というご質問を受けます。礼拝は、クリスチャンでもそうでない方でも、どなたでもご参加いただける開かれた集いです。お気軽においでください。心からお待ちしています。