希望のダイヤル

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※毎週土曜日に更新されます。

2016.08.27

キリストのように

ピリピ2:6-8

こんにちは。ご機嫌いかがですか。

ピリピ人への手紙シリーズ第13回は、2章6節~8節です。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」

先週も引いた御言葉です。キリストは、神様と等しいお方でした。「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)とおっしゃった通りです。キリストは、目に見えない神様が、目に見えるお姿となって来られたお方で、神様の権威、力、栄光を持っておられるお方でした。病人をいやし、嵐を静め、五つのパンと二匹の魚で5千人を養われるお方でした。

そのお方が、「神のあり方を捨てられないとは考えず」、一人の赤ん坊として生まれ、私たちと同じ肉体を持つ人間として歩まれました。キリストは、決して権力や富のある人に近づいたりされず、むしろ貧しい者、虐げられた者、疎外された者の友となられました。まさに「仕える者の姿を」とられたのです。

キリストは、一挙手一投足、すべて神様の御心に従われました。御心に添わないことは、たといそれが良い事のように思えても、何一つされませんでした。その果てが、十字架でした。キリストは、当時のユダヤ人指導者たちによって、十字架につけられたのですが、それは、キリストが神様の御心に従われて、ご自分からいのちを捨てられたのです。

何のためでしょうか。私たちの救いのためです。神様に対して罪を犯して、滅びを待つばかりだった私たちが、罪が赦され、滅びから免れさせていただくためです。さらには、救われてもまだ神様に喜ばれない自己中心の古き人が死んで、キリストに内に住んでいただき、神様に所属する魂にされるためです。これが全き救いです。

この恵みをいただいたら、どうなるでしょうか。キリストのようになります。キリストのようになるとは、どういうことでしょうか。腹を立てない者になるでしょうか、バリバリ奉仕し、力強く証しできる者になるでしょうか。そうならないとは言いません。でも、そんなことより何より、キリストのように喜んで神様の御心に従う者になります。キリストが十字架の死に至るまで従順に歩まれたのは、私たちをそういう者にするためだったと言っても過言ではないのです。

恵みをいただいて、キリストのように、主のようにならせていただきたいですね。

教会では、9月25日(日)午後4時より、チャペルコンサートを開きます。福田豊子さんのソプラノと、三宅麻由美さんのピアノのコンサートです。入場無料です。あなたのおいでを心よりお待ちしています。

 

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