時にかなって美しい事をなさる神
伝道者の書3:11a
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
先日、神戸の方の教会でのお葬式に参列しました。亡くなられた方は、その教会の牧師のA先生でした。A先生は、63才という若さで、がんのために天に召されました。A先生とは10年ほどのお付き合いがあり、牧師同士の集まりでは、よく前の日の礼拝説教はどの聖書のみ言葉から語ったかを分かち合ったりしました。
数年前に胃がんの手術を受けられ、回復されてお元気になられたのですが、昨年12月に再発されて入院され、日増しに弱られて、ついに地上の生涯を閉じられたということです。
誰であっても地上の別れはつらいですが、特に牧師が若くして天に召されるということには、大きな悲しみを覚えます。とりわけ自分と同年代の教職者が、その働きを半ばにして召されるという出来事に遭遇して、人ごととは思えず、神様の前に居住まいを正させられる気がします。
神様は、なぜこんなに早くA先生を御許にお召しになったのでしょうか。それは、わかりません。ただ言えることは、それが神様のみ心だったのだということだけです。旧約聖書の伝道者の書3章11節に、こうあります。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
人間の目には、“なぜ?”と思うようなことが多いです。けれども、すべては神様のみ手の中に導かれており、時にかなって美しいのです。ひとり子イエス様を十字架につけるほど私たちを愛してくださった神様は、真実なお方です。この神様に委ねていくなら、一番良いように導かれていきます。あなたも、ぜひこの真実な神様を知ってください。
教会では、毎週日曜日、午前10時半から礼拝を行っています。賛美歌を歌い、牧師が語る聖書からのメッセージを聞きます。時々、“クリスチャンではないのですが、礼拝に行ってもいいですか”という問い合わせをいただくことがあります。どなたでも集っていただける開かれた集会、それが礼拝です。あなたのおいでを心からお待ちしています。