主の牧場の羊
詩篇100篇3節
さわやかな風が心地よい季節になってきました。木々の緑が心を和ませてくれます。
この時期になると、一つの風景を目に浮かべます。それは、牧場で羊たちが草を食(は)んでいる、なんとものどかな情景です。忙しい毎日を送っていると、時々ふと、そのようなのんびりした所に身を置きたい衝動に駆られます。
旧約聖書、詩篇100篇3節にこうあります。「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場(まきば)の羊である」。
私たち人間は、神様の手によって、神のかたちに創造されました。私たちが神様と豊かな交わりをもちながら生きるようにと、神様が愛をこめて私たちを創ってくださったのです。私たちはもともと主のものだったのです。
ところが、私たちは傲慢になり、神様のもとから離れ、自分勝手な道を歩むようになりました。神様など必要ない、などと思い、自分の思いのままに、自分の満足のいくように生きる者になったのです。それが罪です。聖書の言う罪とは、外に現れた犯罪というより前に、天地を創造されたまことの神様から離れてしまっている状態のことです。
この罪のために、私たちは滅びなければならなくなりました。神様との交わりは失われ、神様のこころを痛め、人を傷つけ、自分をも傷つけるような者になり、その行き着くところは永遠の滅び、という実に哀れな存在になってしまったのです。
しかし、私たちをなおも愛していてくださる神様は、私たちが滅びないようにと、イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。キリストは罪のない神の子でしたのに、むごい十字架にかかって死なれました。罪びとの私たちの身代わりでした。
このキリストを信じるなら、私たちはだれでも罪が赦され、神様のもとに立ち返ることができます。再び主の牧場に憩い、神様との豊かな交わりが回復された者となるのです。
主の牧場には、真の平安があります。困難がやってきても、あわてたり動揺したりしません。主が一緒にいてくださいますから、安心があります。
あなたもぜひ、キリストを信じて、たましいの救いをいただいて、主の牧場の羊として、平安のうちに歩んでください。
教会では、5月18日(日)午後4時から、チャペルコンサートを開きます。福田豊子さんのソプラノ、横山佳代子さんのピアノ、また松之内令子さんの朗読が織りなす安らぎのひと時をご用意して、あなたのおいでをお待ちしています。入場無料です。お気軽にお越しください。