私たちのそむきの罪のために
イザヤ53:5
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか。
13日から始まる一週間は、イエス・キリストが、私たちのために十字架の苦しみをお受けになったことを深く思う受難週です。
イエス様の受けられた苦しみは、それはもう言語を絶するものでした。イエス様は、まず人々に捨てられました。イスカリオテ・ユダに裏切られ、シモン・ペテロに3度否定されました。ほかの弟子たちも皆、蜘蛛の子を散らすように逃げました。人に裏切られたり、見捨てられたりした経験のある方は、イエス様の心中を察することがおできになるでしょう。
またイエス様は、肉体的にもひどい苦しみを味わわれました。平手でたたかれ、むち打たれ、ついに両手両足を十字架に釘づけられました。その痛みは、とても言葉では言い表せません。イエス様は神の御子だから、痛みなど感じなかったのではないか、と思われますか。いいえ、イエス様は、私たちと同じ人となってこの世に来られました。痛みも感じれば悲しみも覚える、私たちと変わらない人間だったのです。十字架につけられた時の痛みは、どれほどだったでしょうか。
しかし、イエス様の苦しみは、もっと深いものでした。イエス様は、十字架の上で「わが神、わが神、どうして…」と叫ばれました。神様から捨てられるはずのない神の子が、神様から捨てられたのです。何のためでしょうか。私たちの罪のためです。
私たちは、神様の前に滅びゆく汚れた罪人です。しかし、愛なる神様は、私たちを救いたいと思われ、独り子キリストを私たちのもとに送ってくださいました。イエス様は罪のない神の御子でしたのに、罪人の私たちに代わって十字架についてくださいました。本当は罪人の私たちが神様から捨てられなければならなかったのに、私たちが捨てられなくてもよいように、捨てられるはずのないイエス様が、神様から捨てられてくださったのです。
旧約聖書のイザヤ書53章5節に、こうあります。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
私たちは、自分の罪を悔い改め、イエス様の十字架がこの自分のためだったと信じれば、誰でも、どんな罪でも赦され、救われます。あなたもぜひ、イエス様の十字架を信じて、罪からの救いをいただいてください。
教会では、4月20日(日)午後4時より、スプリング・イースターコンサートを行います。藤丸 麗さんによるピアノコンサートです。入場無料です。お誘い合わせておいでください。