新しく生まれる
ヨハネ3:3
あけましておめでとうございます。お元気で新年をお迎えでしょうか。
年が改まると、何もかもが新しくなったような気がします。希望に胸を膨らませて、新年を展望したいと思っておられる方が多いと思います。しかし、現実は、どうでしょうか。日本社会の経済状況は、依然として厳しく、政界も教育界も医療の世界も、混沌としています。明るい光がなかなか見えてきません。年が改まったくらいでは、本質的には何も新しくならないのではないでしょうか。
新約聖書、ヨハネの福音書3章3節にこうあります。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」。これは、イエス・キリストがニコデモという人に言われた言葉です。彼は、ユダヤ人の指導者で、神様のおきてを厳格に守るパリサイ人で、また聖書の知識にかけては誰にもひけをとらない教師でした。しかし、そんな彼に、キリストはそうおっしゃったのです。この言葉を裏返して言えば、“あなたは新しく生まれていないから、神の国には入れない”という、非常に厳しい内容になります。
ニコデモには、この言葉の意味が分からなくて、“もう一度母の胎に入って生まれ直すということなどできるでしょうか”と反論しました。もちろん、そのようなことは不可能ですし、キリストはそのようなことを要求されたのではありません。
新しく生まれるとは、私たちの肉体のことではなく、魂のことです。それも、死んで別のものに生まれ変わるということではなく、今、ここから私たちの内側が新しくされるということなのです。
どのようにして内側が新しくされるのでしょうか。キリストの十字架によって、罪が赦されるということによってです。キリストは、罪のない神の御子でしたが、私たちの代わりに十字架にかかって死なれました。これは、遠い昔のお話でも、遠い外国のお話でもありません。この私のために、キリストは十字架で血を流して死なれたのです。
私たちを罪から救うためです。私たちが自分の罪を悔い改めて、キリストの十字架を信じるなら、どんな罪も赦されます。この罪が赦されるという恵みをいただいたときに、私たちは新しく生まれるのです。そして、このようにして新しく生まれた者が、神の国にはいることができるのです。
あなたも新しくされたいとお思いになりませんか。ぜひキリストのもとに行きましょう。そして、本当の意味で新しくされて、新しい歩みを始めていきましょう。