信仰を始めてくださる方
ヘブル12:2
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
先日の10月31日は、宗教改革記念日でした。1517年のこの日、マルティン・ルターが、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95箇条の論題」を打ちつけ、宗教改革が始まったことを記念する日です。彼が掲げた主義の一つに「信仰義認」というものがあります。人が救われるのは、行いによるのではなく、信仰によるということです。
聖書には、信仰について書かれている箇所がたくさんありますが、その一つをご紹介しましょう。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」。ここで、キリストが「信仰の創始者」と言われています。私たちの信仰をキリストが始めてくださるのです。こう聞かれて、あなたは首をかしげるかもしれません。信仰は意志を持って信じることなのだから、誰かによって始まったり始まらなかったりするものではないのではないか、と。確かに、その通りです。けれども、信じるということを私たちがまだわからないうちから、キリストは信仰の道を私たちのために開いてくださいました。私たちは罪のために神様から遠く離れ、そのままでは滅びる存在でした。そんな私たちが滅びるのを惜しんでくださった神様は、救いの道を私たちに開くためにキリストを遣わしてくださいました。キリストが十字架にかかって死に、死を破ってよみがえられたことによって開かれる道です。私たちは、自分の罪を悔い改め、キリストを救い主と信じるなら、その信仰によって罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。キリストが私たちの信仰を始めてくださるということです。こうしてキリストによる救いの道を歩み始めた者は、信仰によって生きていくことができます。辛いとき、困ったとき、大変なとき、どんなときでも、神様を信じ、キリストに信仰のよりどころを置いて、希望と平安をもって進むことができます。先程の聖書の言葉に、キリストが信仰の「完成者」でもあると書かれていました。信仰は育てられ、強められ、やがて完成します。「目を離さないでいなさい」ともありました。心の目をキリストから離さないでいるなら、私たちは信仰を完成まで導いていただくことができます。
あなたもぜひ、キリストに信仰を始めていただきたいと思います。そして、信仰を完成へと導いてくださるキリストを見上げつつ、希望と平安に満ちた生涯を歩んでいただきたいと心から願います。
教会では11月17日(日)午後3時より、田中恵子さんをお迎えして、「田中恵子トーク・コンサート」を開きます。お気軽にご参加ください。心からお待ちしています。