主のことばは永遠に立つ
1ペテロ1:24,25
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
9月に入ったというのに、真夏のような暑さが連日続いています。長引く残暑の中で、身体の調子を崩す方が多いと聞きます。どうぞ、気をつけてお過ごしください。
このような異常な気候の中に身を置いたときに改めて実感することが、身体の限界です。自分では少々は大丈夫とか、何とか乗り切れるとか思っていても、実際にはやはり心身に影響を感じずにはおれません。しみじみと人の力は限界だらけだなと思う次第です。
聖書にも、人の抱える限界を表す言葉があります。「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」。草がしおれ、花が散るように、人には限界があります。身体は必ず衰え、命は必ず終わりを迎えます。どんなに勢いがあって、人生を謳歌している人であっても、どこかで必ず限界があるのです。「しかし、主のことばは永遠に立つ」とあります。「主のことば」とは、文字通り、聖書の言葉ともとれますが、聖書の語るメッセージ、つまり、イエス・キリストの救いを伝える福音ということでもあります。キリストの救いは、世の中のものがどんなに移ろいでも、人間がどんなに栄え衰えても、決して変わることがない真理です。このキリストという真理を知るまでは、私たちは世の中にあるものが全て、人間の目に映るものが全てでした。はかなくしぼんでしまうものを当てにし、移ろいゆくものに左右されていました。真の神様から離れていたからです。神様から離れてしまっている状態を、聖書は罪と言います。この罪を抱えたままでは、私たちは滅びてしまう存在でした。草や花のように、しおれ、散って、終わる存在だったのです。しかし、神様から遣わされたキリストが、十字架と復活の救いを与えてくださいました。キリストの十字架と復活を信じる者は、罪の赦しと滅びからの救いを与えていただくことができます。この救いをいただいた者は、自らの力におごり高ぶったり、世の中のしぼんでいくものを当てにしたり、移ろいゆく人間のものに左右されたりしません。決して変わらず永遠に立ってくださるキリストを信じていきます。
私たちがどんなに限界に直面しても、永遠に立つお方、救い主キリストがいてくださいます。あなたもぜひ、このキリストと出会って、キリストの救いを受け取っていただきたいと心から願います。
教会ではあなたのお越しを心からお待ちしています。