目を開いてくださる復活の主
1ペテロ1:3
イースターおめでとうございます。
私たちの主イエス・キリストが復活されたことを心から感謝します。
”イースターって何ですか?”と、10年ほど前までは、教会に行っていない方からよく尋ねられていたものです。日本では、それくらい知名度の低いイースターでしたが、ここ最近は徐々に知られるようになってきています。それでも、イースターエッグやイースターラビットといった、聖書とは関係ないものばかりもてはやされ、肝心の聖書が語るイースターのメッセージは置いてきぼりです。
では、聖書が語るイースターのメッセージとは、何でしょうか。それは、救い主イエス・キリストが死者の中からよみがえられた、ということです。死者の中からの復活と聞いて、ほとんどの人の反応が、そんなことはあり得ない、というものでしょう。この反応は、当時の人たちも同じでした。聖書にこのようなエピソードが記されています。
イエス様が十字架にかかって息を引き取り、墓に葬られてから三日後のことでした。二人の弟子たちがエルサレムからエマオという村に向かっていました。彼らは、歩きながら論じ合っていました。彼らは、その日の朝、三日前に十字架にかかって死なれたイエス様が復活したと知らされ、驚いていたのです。そんなことはあり得ないことだと、彼らは信じられず、道すがら延々と論じ合っていたのでした。すると、そこに一人の人が近づき、二人と一緒に歩き始めました。実は、それこそ、復活されたイエス様だったのですが、二人は気がつきません。復活などあり得ないと考えていた彼らの目はさえぎられていたのです。やがて、エマオの村に差し掛かり、二人はその人に自分たちの泊まる宿に一緒に泊まってくれるように頼みました。宿での夕食の席で、その人がパンを裂いて二人に渡したそのとき、彼らの目は開かれ、それがイエス様であることがわかりました。すると、イエス様の姿はすっと消えて見えなくなりました。彼らは急いでエルサレムに戻り、本当にイエス様は復活されたのだということを他の弟子たちに伝えました。
この二人の弟子たちが最初、イエス様のことがわからなかったように、復活などあり得ないという、イエス様の復活を信じられない心では、イエス様の復活の意味はわかりません。心の目、魂の目がさえぎられているためです。でも、イエス様は、そのような信じられない者の目を開いてくださいます。そして、次のようにイースターの意味を語る聖書の言葉を悟らせてくださいます、「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました」。ここにある通り、罪のために神様から遠く離れ、そのままでは滅びる存在だった私たちを、神様はあわれんでくださり、キリストを死者の中からよみがえらせてくださいました。キリストの十字架の上での死と、死者の中からの復活こそ、私たちが救われるための道です。どんな罪を犯した者であっても、その罪を悔い改め、キリストの十字架と復活を信じることによって、罪の赦しと滅びからの救いをいただくことができます。キリストの救いをいただいた者は、魂が新しく生まれた者となります。肉体は限界だらけで、やがて衰え、朽ち果てても、魂は永遠に生きるという望みを持つことができます。
あなたの魂の目は開かれていますか。キリストの復活を信じて、救いを受け取り、永遠の命の希望に生きる者となっていますか。まだそうでないのでしたら、ぜひ教会へお越しください。
教会では、4月13日(土)午後2時から、イースターin宝塚を開きます。守部喜雅さんをお迎えし、「あなたの敵を愛せよ〜坂本龍馬を斬った男の回心〜」と題して、歴史にまつわる興味深いエピソードも交えながら、講演をしていただきます。ぜひお越しください。お待ちしています。