迷い出た一匹を探し求めて
ルカ15:4
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか。
イエス・キリストが語られた例え話に、1匹の迷子の羊の話があります。100匹の内、1匹が迷い出たのです。羊飼いは99匹を残して、見失った1匹を捜しに出ます。日が暮れて暗くなっても、彼は1匹を尋ね求めます。そして、深い谷に落ち込んで鳴いている羊を見つけると、彼はそれを助け出し、両肩に担いで、大喜びで帰ってきます。彼にとっては、迷い出なかった99匹のための喜びよりも、見つかった1匹のための喜びがはるかに大きいのです。
この例え話は、キリストと私たちの関係を言い表しています。迷い出た1匹とは、私たちのことです。私たちは、みな罪を犯して、神様のもとから離れました。自分勝手に歩いていき、迷子になってしまいました。自分ではもとのところに帰ることができません。そのままでは滅んでしまいます。
しかし、キリストは、そんな私たちを尋ね出してくださいました。罪のために私たちが当然受けなければならなかった罰を、キリストが代わって受けてくださり、十字架で命を捨ててくださいました。私たちが自分の罪を悔い改め、キリストの十字架を信じるなら、誰でも罪が赦され、救われます。私たちは、無条件で神様のもとに帰ることが出来るのです。これがキリストの救いです。
無条件でと言いましたが、一つだけ条件があるなら、それは信じるということです。もしキリストが、滅びの崖っぷちに立たされている私たちのほうに、救いの手を伸ばしていてくださるにもかかわらず、私たちが手を伸ばして、キリストの手にすがりつこうとしないならば、私たちは確実に崖から落ちます。しかし、思い切って手を伸ばし、キリストの腕にすがるなら、私たちは必ず救われます。これが信じるということです。あなたの手を伸ばして、差し出されているキリストの腕を掴んでください。
聖書の御言葉、「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(ルカの福音書15章4節)
教会では、11月30日(日)午後4時より、チャペルコンサートを行います。高本一郎さんによる古楽器リュートの演奏と、小山恵さんによるソプラノの歌のコンサートです。入場無料です。今からご予定くださり、お誘い合わせておいでください。