いつも賛美が
詩篇34:1
こんにちは。ご機嫌いかがですか。
ダビデという昔のイスラエルの王が歌った詩の中に、このような言葉があります。「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。」詩篇34篇1節の御言葉です。
「あらゆるときに」ですから、楽しい時ばかりではなく、苦しい時も「私の口には いつも主への賛美がある」と言うのです。実際、この詩を歌ったとき、ダビデは非常な苦境に立たされていました。彼は、自分の主君であるサウル王から、妬みのためにいのちを狙われ、逃亡者となりました。そして、宿敵であるペリシテ人の陣地に逃れ落ちました。ダビデは、敵の目を欺くために、わざと気が狂った様を装いました。そうでもしなければ、自分のいのちを守ることができない、というところまで追い詰められたのです。こうして彼は、急場をしのぎました。その直後に歌ったのが、この詩篇です。
普通だったら、“神様、どうしてこんなことになるのでしょうか”とか、“主よ、あなたは私をお見捨てになったのですか”とか、神様に向かって文句を言いそうな状況です。しかし、おおよそ、賛美など出てこないような状況で、彼は「私はあらゆるときに 主をほめたたえる」と高らかに歌ったのです。なぜ、彼はそう言うことができたのでしょうか。強靭な精神力を持っていたからでも、立派な人格者だったからでもなく、真実な神様に全面的に信頼していたからです。
私たちも、神様に信頼していれば、どのような困難がやってきても、「私はあらゆるときに 主をほめたたえる」と言うことができます。神様への信頼は、どうしたら持つことができるでしょうか。
私たちは、神様の前に、みな等しく罪を犯しました。天地を創造されたまことの神様を知らず、自分勝手な道を歩んでいたのです。その罪のために、私たちは滅ぶべき者でした。そんな私たちを、神様は憐れんでくださり、御子イエス様を送ってくださいました。神の御子イエス様は、私たち罪人のために、十字架にかかって死んでくださいました。私たちが、自分の罪を悔い改め、イエス様の十字架を信じるなら、私たちは罪が赦され、救われます。この救いをいただいたら、私たちは真実な神様に信頼して歩んでいく者になります。そこから、「私の口には いつも主への賛美がある」と言うことができる人生が始まります。
あなたも、周囲の状況や、目の前に起こってくる事に左右されずに、絶えず主に賛美をささげる歩みをしたいと思われませんか。イエス様の十字架を信じて、罪の赦しの救いをいただいてください。あなたの人生は変わります。
教会では、あなたのおいでを心からお待ちしています。