礼拝メッセージ

礼拝で語られる 聖書の言葉

毎週日曜日に行われている礼拝で語られたメッセージを配信しています。
ところどころ、慣れない言葉も出てきますが、全体的には、平易でわかりやすい内容です。

"キリスト教や教会には興味があるけど、いきなり出席するのには抵抗がある"という方は、
ぜひ配信されているメッセージをお聞きになって、
文字と映像から、雰囲気を味わっていただけたらと思います。

※毎週日曜日の午後に更新されます。

2023.06.25

道・真理・いのちであるキリスト

ヨハネ14:1-7

イエスは、十字架にかかられる前の夜、弟子たちと最後の食事をとられた。その席上で主は彼らに、「あなたがたは心を騒がせてはなりません」(1節)と言われた。彼らは心が騒いでいたのだ。その直前に、主はイスカリオテのユダが裏切ること(13:21)、ペテロが主を三度否定すること(13:28)を予告された。ただならぬ雰囲気だ。弟子たちが不安になるのは当然だった。だからイエスは彼らに、心を騒がせるなと言われたのだ。

私たちも、心を騒がせやすい。すぐに恐れたり、不安になったりする。そんな私たちに、主は心を騒がせるなと語ってくださる。なぜ心を騒がせる必要がないのか。それは、主が私たちのために天の住まいを備えていてくださるからだ(2節)。

イエスは、このあとすぐに捕らえられ、裁判にかけられ、翌日には十字架刑に処せられる。ご自分の死を目前にして、主は実に落ち着いておられた。心を騒がせないで冷静だったのは、ほかならぬイエスご自身だった。それは、父なる神に信頼しておられたからだ。神への信頼こそ、平安でいることができる秘訣だ。

イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(6節)と言われた。道・真理・いのちは、主がどういうお方かを端的に現わしている。

 

1.キリストは道

道は目的地に到達するのに欠かせないものだ。キリストは私たちが天の御国に行くための道だ。私たちは神のかたちに創造されたにもかかわらず(創1:27)、罪を犯して滅ぶべき者となった。私たちは誰一人例外なく罪びとだ(ロマ3:10,23)。しかし、愛なる神は、私たちのために御子イエスを世に遣わし、十字架におつけになった。罪なき神の子キリスト(1ペテ2:22)は私たちに代わって十字架につかれたのだ。この十字架を信じるなら、私たちは誰でも、どのような罪であっても赦され、天国の約束が与えられる。十字架にかかられたキリストこそ、私たちが天国に行くただ一つの道だ。

 

2.キリストは真理

真理とは、昔も今も変わらないものだ。2000年前にこの世に来られたキリストは、昨日も今日も変わることがないお方だ(ヘブ13:8)。主は今も聖霊として生きておられ、変わることなく私たちを救い、助け、励まし、慰めてくださる。真理の御霊(14:17)が、私たち信じる者の内に働いて、私たちを導いてくださる。

 

3.キリストはいのち

十字架で死なれたキリストは、三日目に墓の中からよみがえられた。そのことを信じる者には、永遠のいのちが与えられる。私たちが今持っているいのちは、必ず終わる時が来る(ヘブ9:27)。しかし、死は終着駅ではなく、天国への通過点に過ぎない。キリストの復活を信じる信仰によって、私たちは死の恐れに勝つことができる。そして、この世においてあらゆる困難にも勝利することができる。これが永遠のいのちの力だ。

 

道・真理・いのちであるキリストを信じよう。そして、何があっても心を騒がせることなく、平安をもって生きる者とされたい。

世の終わりに、キリストは再び来られる。私たちを天の御国に迎えてくださるためだ(3節)。約束を信じて待ち望む者とされたい。