死んでも生きる者
ヨハネ11:25
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
人は古来から永遠に憧れていました。中国で最初の統一国家を築いた秦の始皇帝も、不老不死の霊薬を求め、東方、つまり、日本に徐福という使者を遣わしたというのは有名なお話です。現代でも、「長生き」とか「長寿」とか「いつまでも若々しく」といったキーワードは人々の心を惹きつけ、ハウツー本、サプリ、健康法などが山のように出回っています。人はなぜ、これほどまでして永遠に憧れるのでしょうか。
それは、死を恐れるからです。死の向こう側に何があるのかわからず、死を恐れているからです。ある人は、死は全ての終わりだと言います。また、ある人は、死んだら無になるのだと言います。でも、それは死への恐怖を受け入れることができないだけなのです。しかし、聖書は語ります、イエス・キリストの救いに与った者にとって、死は終わりでも、無でもない、と。キリストがおっしゃった言葉にこのようなものがあります、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」。
死は、人に等しく定められているものです。どんなに健康であっても、どんなに長生きしても、いつかは必ず死ななければなりません。なぜ、人は死ななくてはいけないのでしょうか。それは、罪のためです。人は、本来神様に創造され、神様のもとで生きる存在でした。しかし、罪が入り、人は神様から遠く離れた存在となってしまいました。この罪の結果として、死と滅びが運命づけられてしまったのです。このようなわけで、人は、死の向こう側に何が待ち受けているのかがわからず、死を恐れるのです。
この罪と死と滅びの問題に解決を与えるために、神様のもとから遣わされたのがイエス・キリストです。キリストは、十字架にかかって死に、死を打ち破って、三日目によみがえられました。キリストの十字架と復活を信じる者は誰であっても、罪を赦され、滅びからの救いをいただくことができます。キリストの救いをいただいた者は、もう死を恐れません。死の向こう側には、永遠に生きる新しい歩みがあるという約束をいただいているからです。先ほどの御言葉の通り、よみがえりであるキリストを信じる者は、永遠の命の約束をいただき、「死んでも生きる」のです。
死んでも生きる者。あなたも、キリストの救いを通して、この希望に溢れる歩みを始めていただきたいと切に願います。
教会では、毎週日曜日、午前10時半より礼拝を行っています。クリスチャンの方もそうでない方も、どなたでも集っていただける開かれた集会です。ぜひご参加ください。