信仰によって生きる
ハバクク2:4
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
10月31日は、宗教改革記念日です。マルティン・ルターによる宗教改革が始まったことを記念する日です。1517年のこの日、彼がヴィッテンベルク城教会の扉に95ヶ条の論題を打ちつけたことによって、ローマ・カトリック教会に対抗するプロテスタント運動が始まっていきました。ルターが改革の骨組みとして掲げたことの一つに、「信仰のみ」というものがあります。人は、信仰によってのみ、神様の前に正しい者とされる、ということです。
聖書にこう書かれているところがあります、「正しい人はその信仰によって生きる」。世に、正義感の強い人、正義を貫いて生きている人は、たくさんいます。悪いことや曲がったことが大嫌いという姿勢は、素晴らしいことだと思います。悪いことや曲がったことが、平気でまかり通ることは許されるべきではないからです。しかし、どんなに正義感が強くても、正義を貫いて生きていても、神様を信じる信仰によって生きていないならば、残念ながら、神様からは「正しい人」と言っていただけません。なぜでしょうか。それは、人は罪を持っているからです。どれほど自分は正しいのだと生きている人であっても、神様に心の中を見られたらどうでしょうか。神様の前に正しくない思いはないでしょうか。私たちは、誰一人の例外なく、心の中にこの罪を抱えている存在なのです。そのままでは、私たちの魂は滅んでしまいます。そんな私たちの罪を解決し、滅びから救うために、イエス・キリストが私たちのところに来てくださいました。キリストは十字架にかかって死に、死を打ち破ってよみがえってくださいました。キリストの十字架と復活を信じる者は誰でも、罪の解決と救いをいただくことができます。こうして救われた者は、自分を救ってくださった神様を信じる信仰によって生きていきます。そして、神様から「正しい人」と言っていただくことができます。
神様を信じる人であっても、人間的な限界や弱さに直面するときはあるでしょう。でも、神様は私たちの限界や弱さを越えることのできるお方です。キリストの救いをいただいた人は、この神様を信じる信仰によって、前へ進んでいくことができます。あなたにも、この信仰によって生きる生き方を始めていただきたいと切に願います。
教会では、毎週日曜日の礼拝を、新型コロナウイルス感染防止のために、午前9時半からと11時からの二回に分けて行っていますが、感染拡大が収まりつつあることを考慮して、11月から午前10時半からの一部制に戻します。お間違えのないようにお願いします。