失われた者を捜して救うため
ルカ19:10
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
何か大切なものを無くしてしまって、散々探し回った末に見つかったという経験をお持ちでしょうか。
聖書にこう書かれているところがあります、「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」。これは、イエス・キリストがおっしゃった言葉です。「人の子」とは、イエス様ご自身のことです。では、「失われた者」とは誰のことでしょうか。私たちのことです。
私たちは、本来神様によって創造され、神様のもとで平安と祝福の中を生きる存在でした。しかし、罪が入り込み、神様と私たちとの関係は断絶し、私たちは神様から遠く離れてしまいました。私たちは、神様のもとから失われた存在となってしまい、そのままでは滅びが定められてしまいました。ところが、神様はそんな私たちのことをあきらめず、私たちを捜してくださいました。それが最もはっきりと表されたのが、神様のもとからひとり子イエス・キリストが私たちのところに遣わされたことでした。イエス様がおっしゃる通り、私たちを捜して救うために、イエス様は来てくださったのです。そして、私たちの身代わりに十字架にかかって死んでくださり、死を打ち破ってよみがえってくださいました。私たちを滅びから救い出すためです。イエス様の十字架とよみがえりを信じる者は、誰であっても、その罪を赦され、滅びからの救いをいただくことができます。イエス様の救いをいただいた者は、神様との関係を回復していただいた者として、神様の平安と祝福の中を生きることができます。
聖書の他の箇所に、このようなイエス様の譬え話が収められています。羊飼いに飼われていた一匹の羊が群れからはぐれてしまい、迷子になってしまった。羊飼いは、その一匹をあきらめず、丁寧に探し回った末、ついに見つけ、喜んで連れて帰った。羊飼いというのはイエス様、迷子になった羊というのは私たちのことです。神様のもとから失われた私たちを、見つけてくださり、救い出してくださるイエス様の姿がここに描かれています。
イエス様は今も語りかけておられます、わたしはあなたを捜して救うために来たのです、と。あなたもぜひ、捜しに来てくださったイエス様と出会って、救いを受け取っていただきたいと心から願います。
教会では、8月28日(日)午後3時より、森繁昇サマーコンサートを行います。コロナ禍のために昨年と一昨年は、無観客・ライブ配信という形で行いましたが、今年はライブ配信をしながら、来場もしていただけます。入場無料です。ぜひご参加ください。